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ウェルビーイングライオンズTシャツに込めた想い

 こんにちは、池上です!


 本日はウェルビーイングライオンズTシャツが残り3着となりましたので、そのお知らせをさせて頂くとともに、今回はウェルビーイングライオンズTシャツに込めた意味を書かせて頂こうかと思います。


 先ずはウェルビーイングライオンズTシャツの色ですが、白と黒が貴重であることがお分かりいただけると思います。黒は死、白は生を表す色です。それだけ真剣にランニングに取り組む、真剣に生きるという意味が込められています。もちろん、私たちも皆様から頂くご質問、ご相談、お問い合わせに対して真摯に対応させて頂くという意味でもあります。


 一所懸命という言葉の由来はご存知でしょうか。ご存知の方も多いと思いますが、これは鎌倉時代に武士が「1つの所(土地)を命を懸けて守った」ことに由来する言葉で、それだけ真剣にやるという意味です。真剣という言葉もそうですよね。今の言葉で言う練習番長とかブルペンエースというのは江戸時代からいたそうで、当時の言葉では道場剣法といったそうです。


 道場での稽古では木刀を使ったそうです。木刀での稽古も現代の私たちからすると、かなり激しいものだとは思いますが、切られても死にはしません。しかし、理屈から言ったらば木刀で切り合うのも真剣で切り合うのも同じ技術のはずです。しかし、真剣で闘う強さと木刀で闘う強さは違うそうです。


 一番顕著に出てくるのは、出足と引き足だそうです。主に、相手の刀をかわすのが引き足、相手を切るときは出足です。木刀なら切られたところで、せいぜい骨が折れる程度ですが、真剣での闘いでは死にます。そうすると、稽古では思い切りよく踏み込めても、真剣になるとなかなかそうはならないそうです。しかし、勝ちたければ切らねばなりませんから、出足が重要です。しかし、思い切って踏み込んでしくじったらこちらが殺されます。


 結局木刀を使っているという気持ちで稽古しても、真剣で闘う為の技術は身につきません。だから、稽古の時から、真剣でやるつもりでやりなさいというのが、現在で言うところの「真剣にやりなさい」という言葉になったそうです。


 余談ですが、道場剣法の逆もいたそうで、木刀持たせたら弱いくせに真剣になるとめっぽう強い男もいたそうです。その人は、間合いを見極めて、ここだと思ったら、相手の懐に思い切って飛び込んでいくそうです。普通は切り損じた時のことも考えながら、出足と引き足を上手く使い分けるそうですが、その男は出足のことしか考えず、まさに決死の覚悟で相手の懐に飛び込んでいくそうです。


 引き足を考えなくて良いのなら、若干遠い間合いからでも切り込んでいけます。また木刀同士なら、向こうもさらりとかわしたり、叩き落したりもできるそうですが、真剣同士の戦いではふつうあり得ない間合いから切り込んでくるので、向こうも対応できないそうです。それで負け知らずだったそうですが、他の人はとてもじゃないけど真似できなかったそうです。一度でも切り損じたら、そこで殺されてしまいます。


 野球でも、星野仙一さんの現役時分はブルペンでは球がお辞儀しているのに、マウンドに上がるときには、自分で自分の頬を平手打ちしてから行き、マウンドに上がったらもう強気一辺倒、ブルペンではお辞儀していた球がうなりをあげて、打者の内角に食い込んでいったそうです。


 マラソンというのは別に負けても死にはしません。負けても死にはせんのですが、どうせやるなら、真剣にやろうというそういう想いが込められています。あとは、死を意識したほうが生も充実するのではないかとも思います。


 若い方はご存じないかもしれませんが、昔小野田寛郎という人が戦争が終わっても、30年くらいフィリピンのルバング島というところにこもって任務を遂行していました。「小野田は戦争の終結を知っていた」という声もありますし、真偽のほどは私には分かりませんが、結果論から言えば、満州の関東軍はソ連の方から「ダモイ、ダモイ(帰国)」と言われて汽車に乗せられ、そのままシベリアへと連れていかれて、強制収容所生活が始まりました。何万人もの日本人がそこで殺されたので、小野田さんの判断が間違っているとは到底言えません。ソ連はポツダム宣言受諾後も北海道に侵攻し、日本軍に敗戦していますから、終戦通知をうのみにすることは必ずしも正しい判断ではなかったのです。


 で、その小野田さんが日本に帰ってくると、まるで日本人の気質が変わっていたそうです。小野田さんだけではなくて、戦前から生きている人は大東亜戦争に負けてから日本人の気質が変わったと本に書いている人は少なくはありませんが、それでも昔のプロ野球ではビール瓶が投げ込まれたり、時には機動隊が出動せざるを得ないほど、ファンも熱狂していましたし、東大の安田講堂占拠とかはもう隔世の感を感じたりという感じで、学生があそこまでの抗議活動に出るとは、今ではなかなか想像しにくいです。そう考えると、京大は今でも私服警官が学生に取り押さえられたりして、なかなか元気があって良いのではないかと思います。


 いずれにしても、その小野田さんが平和ボケしてしまった日本人を見て「覚悟を決めずに生きられるのは良いことだ。しかし、死を見つめないことで生まで薄くなってはいないか」と語っています。


 平和であるのは、良いことです。私もスポーツを除けば、闘争は好きではありません。勝負事自体は好きですが、暴力とかいじめとなるとやっぱり嫌いです。