疲労とは何か?~適切なトレーニング負荷の設定方法~
- 秀志 池上
- 6 日前
- 読了時間: 22分
突然ですが、あなたは疲労って一体何って思ったことはありませんか?
あるいは疲労が回復するって一体どういうことって考えたことはありませんか?
例えばですが、車のガソリンが切れたらガソリンを充填する、スマートフォンの充電が切れたら充電する、このような単純な考え方に立てば非常に分かりやすいです。
では、人間の体もそのようになっているのでしょうか?
のどが乾いたら水を飲む、お腹が減ったらご飯を食べる、これが疲労が回復するということなのでしょうか?
あるいはのどが渇くとかお腹が減るということが疲労するということなのでしょうか?
これも一見、もっともらしく思えます。確かに、現在の車はガソリンが切れたら補充するという形になっていますが、昔の蒸気機関車の場合は石炭と水の両方を補充しないと走りませんでした。
少なくとも私が幼少期のころに見ていた機関車トーマスではそうなっていました。
これはなんとなく合理的に思えます。車はガソリンを使ってエネルギーを生み出し、燃えカスとして排気ガスを出す、機関車だって石炭を燃やして上から煙を出しながら走っています。
人間も水を飲み、ご飯を食べ、トイレにいって排泄します。同じような構造に見えます。
ところが、実はこれは間違いなのです。我々が食べた食べ物の多くはエネルギーにもならず、排せつもされず、体内に留まります。これが証明された実験があります。
原子には同位体というものがあります。原子は原子核の中に陽子と中性子があり、周りに電子があり、電子は負の電荷、陽子は正の電荷をもちます。電子と陽子の電荷が釣り合うことで、原子はその構造を保ちます。分かりやすく言えば、離れていこうとする力とひきつける力が釣り合っているから常に一緒にいられると思ってください。
陽子と電子の数はその原子によって決まっています。水素なら1つ、ヘリウムなら2つ、リチウムなら3つ、ベリウムなら4つという具合に決まっている訳です。もっと有名なもので言えば酸素は8つ、炭素は6つです。
ところが、中性子の数はというと微妙に違うのです。
例えば、長崎に落とされた原子爆弾はプルトニウム239を核分裂させたと当時の中学校の社会の資料集に記されていたのですが、このプルトニウム239だけではなくて、プルトニウム240とかプルトニウム238というのもあるのです。
この数字は何であるかと言いますと、中性子と陽子を足した数です。陽子の数は一定ですが、中性子の数が違うのです。
窒素にも窒素15と窒素14というのがありまして、自然界に存在する窒素は99.6%くらいがこの窒素14です。しかし、窒素15というのもごくわずかにあります。ネズミの餌にこの窒素15を入れれば、自然界にはほとんど存在しない窒素15を追跡することで、その食べ物の行き先を追跡することが出来ます。
生物学者たちの予想は車や機関車と同じでした。つまり、食べたものは大半がエネルギーとして使われ、残りかすが糞や尿に混じって体外に排出されると思っていたのです。
ところが、結果は全然違いました。ねずみが摂取したタンパク質の大半はエネルギーとしても使われず、飲み物としても使われず、体内に残ったのです。
これはタンパク質だからではないかと言われると、そういう部分もありますが、炭水化物でも似たような結果になりました。何時間後で判断するかにもよりますが、スマートフォンのように充電してすぐにエネルギーとして使われるとか、車のようにガソリンを入れたらそのまますぐに使えるということにはならなかったのです。
もっと言えば、スマートフォンやパソコンは充電しながらそのエネルギーをすぐに使うことが出来ますが、生物の場合は食べながら走るというような器用なことは出来ません。これは大道芸人なら出来るとかいう話ではなく、食べたものがすぐにエネルギーとして使われることはないのです。
疲労を機械のように単純な構図では理解できなくなってしまったのです。
さらに言えば、睡眠の役割もこの構図では説明が出来ません。
例えば、寝ている間はしっぽをコンセントにさして、関西電力だか東京電力だかに充電してもらっているというのであれば分かりますが、寝ている間は別に何もしていません。エネルギーの補充もマッサージも何もしていません。何もしていないのに、体力が回復するとはいったいどういうことでしょうか?
「何もしていないから体力が回復するんだろう?何を言っているんだ、お前は?」
そう思われるのもごもっともですが、パソコンや車は何もせずに放置していたからといってエネルギーが回復するわけではありません。では、人間が何もしていないその時、一体体内では何が起きているのでしょうか?
皆さんもご存知の通り、走力が向上するのはトレーニングをしている時ではありません。トレーニングの疲労から回復している時です。
ですから、疲労とは何か、疲労回復とは何か、ということが分からなければトレーニングについても理解が出来ないのです。
私がこの問題に直面したのは高校生の時です。
オリンピックで5名のメダリストを育て上げ、自身もニュージーランド代表として英連邦選手権に出場したアーサー・リディア―ドという人がいるのですが、そのアーサー・リディア―ドが小松美冬さんの訳された『リディアードのランニングバイブル』という本の中に、無酸素性作業閾値を超えない限りは週に160キロのランニングをしても疲れ切ることはない、この週に160キロのランニングはメインの練習として行うものだけの話であって、補助的ランニングも入れると一番練習量の少ない中距離選手でもマラソンコンディショントレーニングには週に250キロは走ると書いてあったのです。
当時高校生の私にも理屈は分かりました。
走行速度を上げていくと、ある地点から無気的代謝と呼ばれる酸素を使わない代謝を使うようになり、これを使うようになるとプロトン(水素イオン)の濃度が上昇する、それに伴い組織が酸性化する、人間の体は弱アルカリ性で正常に動くようにできているので、酸性化が進むと不具合が生じて疲労が非常に残る、しかも、そもそも化学的に1つのグリコーゲン分子から作ることが可能なエネルギー量は有気的代謝と無気的代謝を比較すると18倍も有気的代謝の方が効率が良い上に、後天的にトレーニングで大きく向上するのは有気的代謝の方であると。
しかしながら、この理屈は分かるのですが、私は有酸素ランニングしかしていないにもかかわらず、どんどん疲労をため込み、どんどん走れなくなっていったのです。オーバートレーニング症候群というやつでしょうけれど、私は文字通りどんどん走力が低下し、遅くなっていきました。
あんなにもつらい筋肉痛や疲労感に耐えて走りこんだのに一体何故なのでしょうか?
それから、もう一つ疑問に思ったことがあります。
それは補助的トレーニングとの関係性です。リディアードの本には無酸素ランニングをあまりにも多量にやりすぎると疲れ切ってしまって、走力が低下する、しかしながら、有酸素ランニングであれば12歳の少年少女に週に100㎞のトレーニングを課しても問題はないと書いてありました。
しかしながら、当時の洛南高校陸上競技部は走る以外の練習もたくさんあったのです。いわゆる、補強と呼ばれる練習です。毎日練習時間が3時間から長い時で4時間くらいあって、走る以外の練習が少なくともそのうちの1時間、半分くらいは走る以外の練習であることも多々ありました。
じゃあ、この有酸素ランニングにも無酸素ランニングにも分類できないこの練習は一体どのように考えれば良いのでしょうか?
疲労というものをもう少し深堀したくて『The better training for middle and long distance running』という本を紐解いてみました。デヴィッド・マーティンとピーター・コーという方が書いた本で、化学式なども多数出てきて、かなり詳細に人体と中長距離トレーニングを結び付けて解説している本です。
その本に疲労とはどのように書いてあったかというと、その競技者がもはやあるペースを維持することが出来なくなった時、それを疲労困憊と定義するとだけ書いてありました。これは私の知りたい疲労という概念ではありません。私が知りたかったのは、あるレース中に疲労困憊に陥るという現象ではなく、トレーニングによる疲労で故障や走力の低下が生ずるという現象についてもっと詳しく知りたかったのです。
疲労が全て悪いのであれば、練習しなければ良いだけの話です。しかし、練習しなければ走力の向上が生じないのは誰でも知っていることです。
また、私は確かに、他の人から「馬鹿だ」とか「学習能力がない」とか言われ続け、練習を頑張って頑張って、他の人よりも努力をしたのに故障で他の人よりも結果が出せなかったとか、あるいは頑張れば頑張るほど走力が低下して、見事なまでの凡走を試合で披露したことも何度もあります。
それ自体は私も本当に馬鹿だなぁと思います。
ただ、そう言いながらも私を馬鹿にして、あまり練習しなかった人で私の競技実績を超えた人は一人もいないという事実も否定することが出来ません。
確かに、あまりにも疲労が強く、疲労の回復が追い付かないと良い結果にはなりません。寧ろ、心身ともに傷つくことになります。
一方で、ある水準に達したいのであれば、必ずあるレベルの負荷はかけなければならないのです。疲労するような練習は必須であるとも言える訳です。
しかし、疲労の度合いが強すぎるような練習をすると結果が出ません。そうすると、一体どのくらいの練習の負荷がちょうど良いのでしょうか?
また、疲労というものをどのようにとらえると良いのでしょうか?
一体疲労とは何で、疲労の回復とは何なのでしょうか?
これが分からないことには、対策の練りようもありませんし、適切な練習計画を立てることも難しいです。
だって、結局練習はやり足りないのも損であるし、やりすぎるのも損なんですから。やり足りないのは機会の損失、やりすぎるのは赤字が膨らんでいる状態で、やはりマイナスです。
疲労とは何で、どのように計測可能で、疲労回復とは何なのか、その原理(メカニズム)が分からないことにはどうしようもありません。
また、私がずっと疑問に思っていたのはオーバートレーニング症候群、慢性疲労症候群、燃え尽き症候群とは一体どういう現象なのだろうということです。症候群という名前がつくくらいですから、病気としても認定されて治療の対象になったり、学問の対象になっている訳です。
簡単にその症状を説明すると、長期にわたる走力の低下、明らかな疾病がないにもかかわらず、体がだるく、常に倦怠感や疲労感を感じ、免疫機能が低下し、頭がぼーっとして集中力が低下し、やる気や気力が低下し、希死念慮などのうつの症状を感じ、死にたいと思うようになったり、何をやっても楽しくないという状態になります。
ランニングに関して言えば、わずか数キロも走れないとか、途端に目の前が真っ暗になるとか、急に体がふらふらして走れなくなるとか、あり得ないくらい遅くなってしまうとかそんな感じになるのですが、病院で検査をしても異常値もなし、ウイルスや細菌への感染も確認できず、「気のせい」とか「ちょっとお疲れのようですね」とか「歳のせいですね」とか言われ、周りからも「気持ちが弱いだけ」とか「気持ちの問題」とか「気にしすぎ」とか言われてしまい、誰からも理解されないという辛い状態が続くのです。
これは経験した人にしかわからないことですし、私も経験がありますので、ウェルビーイングオンラインスクールに入校された方には「この辛さを分かってもらえただけでも入校した甲斐があった」とまで言っていただいたことがあります。そのくらい、本人にとっては重要問題、死活問題ですが、なかなかその原理、体内で何が起きているかを説明してくれる人がいないので、周りに理解されないのです。
これがまあ辛いこと。
これは私の持論ですけど、こういう時って自分の気持ちというか辛さを分かってくれるだけで良いし、分かってくれないともう一緒にいたくないという気持ちになるのは男女一緒なんですよ。
ただ、傾向としては女性の場合は、というより女性的な人は無条件の共感を求める、つまり理屈なんかどうでも良い、正論なんかどうでも良いから、私の気持を全面的に受け入れてほしいとなるのに対し、男性というか、男性の中でも特に男性的な人って言うのは正論で突破しようとするものなんだと思います。むしろ、分かりもしないのに分かったふりなんかしていらないから、誰か俺の体内で何が起きているのかを説明してくれと思うものだと思います。
言うまでもなく、私は後者のタイプですから、長年にわたって研究し続けてきました。
その結果として、疲労とはどういう現象で、疲労の回復とはどういう現象なのかがだいぶ分かってきました。
また、機能的オーバーリーチング、非機能的オーバーリーチング、オーバートレーニングの違いも分かってきました。
オーバーリーチングという言葉は聴きなじみのない方が多いと思いますので、解説させて頂きますと、練習の直後に一時的に走力が低下することをオーバーリーチングと呼びます。これは、ほんの一時的なもの、すなわち練習の直後から数日後、場合によっては数週間単位のものです。
例えば、1000m5本を1分休息で5000mのレースペースでやった直後はいつもよりも疲れているというのは全員ご理解頂けるでしょう。
しかし、普通は翌日もなんとなく疲れていて、いつもよりも体が重かったり、脚が重かったりして、いつも通り走れないものではないでしょうか?
10000mのレース直後なんかは2,3日はいつも通りに走れない、いつもよりも走力が低下しているというのは普通のことですし、ハーフマラソンであれば7日くらいはいつもよりも走力が低下しているということは当たり前のことでしょう。
また、合宿なんかで強化練習を組む場合には、合宿の後半になるにつれて少しずつ脚が重く、体がだるく、走れなくなっていくものです。だからこそ、終わった後の達成感はひとしおな訳です。
瀬古利彦さんとともに箱根駅伝に出場された経済小説家の黒木亮さんの執筆された自伝小説『冬の喝采』を読んでいると、合宿が終わると気の合う者同士でケンタッキーにいってフライドチキンをこれでもかというくらい食べて、一人のだじゃれ好きが「もう食えんたっきー」と言ったので、皆で笑ったという描写がありましたが、今も昔も変わらないんだなーとほほえましく思ったものです。
合宿はだいたい1週間から2週間くらいで組まれるものですから、その間走力は基本的には低下し続ける訳ですが、そのあと練習を軽くすると走力が向上します。この一時的に走力が低下しているけれど、それが走力の向上に必要な疲労であり刺激である場合には、これを機能的オーバーリーチングと言います。
一方で、非機能的オーバーリーチングというものもあり、あまりにもその疲労による走力の低下の度合いが大きすぎたり、あるいは疲労による走力の低下の期間が長期にわたると走力が低下し続けたまま、走力の向上が起こらないのです。
あるいは、走力の低下が生じないまでも、走力の向上はおこらないのです。これぞ骨折り損のくたびれ儲けというやつです。頑張っているにもかかわらず、走力の向上が生じないのです。こんなバカなことはありません。
しかし、オーバートレーニングよりはましです。オーバートレーニングでは数か月から数年にわたり、走力が低下したまま回復せず、日常生活に悪影響が出ることもしばしばです。
一体これにはどういう違いがあるのかということですが、先ず第一に理解しておかなければならないことは生命現象とは何かということです。
先述から書いていますとおり、生命は機械とは違うのです。
生命現象とは何かということを一言で書けば、同じ状態を維持するために耐えず変化し続ける現象であるということです。ランニングシューズも車のタイヤも常に消耗し続けます。それがミクロな単位であったとしても常に消耗し続けていることに変わりはありません。
JRの職員さんが定期的に電車の車輪を叩いてその音で車輪の交換時期を判断するという話を聞いたことがありますが、どこもプロはそうなんだなと思ったものです。
というのも、プロ野球で唯一三度の三冠王を達成された落合博満さんもバットを指で弾き、その時の音でバットの交換時期を判断されるそうだからです。
私自身も20年も走っていれば、走った時の感覚で、シューズの交換時期は分かるものです。あっ形状が変わったなとか、クッション性がなくなったなとか感じる瞬間というのはあります。
ものというのはそういうものです。常に消耗し続けるのです。
一方で、人間の体というのは擦り減る一方ではなく、常に再生し続けているのです。破壊しながら再生し続けるのです。運動すると新陳代謝が活発になるというのはトレーニング刺激が細胞の破壊を引き起こすからです。
しかし、それは悪いことではないのです。破壊されるから新しく再生されるのです。それが新陳代謝が活発になるということです。
また、トレーニングのみが体を破壊するということではありません。生命現象とは常に破壊と再生を繰り返しているものなのです。先ほどの窒素15を用いたネズミの実験を思い出してください。常に、体内で様々な物質を再生し、古い物質を破壊することによって我々は生命を維持しているのです。
疲労回復の過程も同じです。物質を破壊し、再生することで体が回復するのです。
ところがやはり、程度問題でもあるのです。物質の再生速度と破壊の速度を比較した時に、常に再生速度がやや上回っていないと走力の向上というものはおこらないのです。
また、疲労というものを考える上で厄介になるのが、疲労感と疲労の違いです。疲労感と実際に体がどのくらい疲れているかの乖離と言っても良いでしょう。自分ではそれほど疲労を感じないんだけれど、実際には体は思ったよりも疲れていて走力の向上が起こらないというようなことが往々にして起こってしまう訳です。
ですから、疲労というものを正しく理解しないと、トレーニングを正しく理解したことにはならないし、頑張っても走力が低下するとか、走力の向上が生じないということにもなるし、そもそも疲労回復とはどういうことかが分からないと疲労の回復力を高める方法も分かりません。
疲労の回復力はトレーニングによって高まりますし、疲労の回復力が高まるからこそ、よりハードなトレーニング刺激を疲労なく行えるようになり、他の人よりも結果が出せるようになるのです。
こういった関係性を理解していないと、最悪の場合、日常生活もままならないくらいに体が破壊されてしまうことにもなりかねません。
そんな訳で、疲労について約5時間の講義動画で詳しく解説させて頂くことに致しました。こちらの講義で解説させて頂いている内容は以下の通りです。
・そもそも疲労とは何か?
・そもそも生命現象とは何か?
・生理的疲労とは何か?
・疲労感とは何か?
・生理的疲労と疲労感の違い
・生理的疲労を正しく認識する方法
・事前に適切な練習の負荷=適切な疲労の度合いに設定する練習計画の立て方
これらの内容を学ぶことであなたが得られるメリットは以下の通りです。
・効率的努力で長距離走、マラソンが速くなる
・頑張っているのに走力が低下するというリスクが低下する
・頑張っているのに走力が向上しないというリスクが低下する
・頑張っているのに故障ばかりしてしまうというリスクが低下する
・頑張りすぎて走力が長期にわたって向上しないどころか、日常生活もままならないというリスクが低下する
そして、今回の講義を受講していただきたい方は以下の通りです。
・超効率的努力で長距離走、マラソンが速くなりたい方
・練習を頑張っているのに走力が向上しない方
・練習を頑張っているのに走力が低下している方
・故障を頻発している方
・長期にわたって体調がなんとなくおかしかったり、常に疲れを感じていたり、常に頭がぼーっとしていたり、常に鬱っぽい方
・一度は情熱的に走ることを愛したが、今はもう情熱も枯れはてて意欲もやる気もなくなってしまったが、実は心のうちにくすぶり続ける愛は消えておらず、もう一度燃え上がりたいと思っている方
・ガーミンやアップルウォッチの出してくるリカバリータイムやHRVやボディバッテリーや「今日は休養してください」という指示を信じたり、気にしたりしてしまっている人
こちらの講義の受講費ですが、一体いくらくらいが適当でしょうか?
先ず第一にですが、こちらの講義には私が15歳から研究し続けてきた16年間の学術的内容と実践を含む重みがあります。これを学んでいただくだけで、少なく見積もって10年間、多く見積もって一生分の近道が可能になるでしょう。つまり、もしここで学ばなければ一生学ぶ機会のない知識である可能性もずいぶんあります。
あなたはこの10年間から一生分の近道に一体いくらお支払いされますか?
分割払いでも構いません。一体いくらお支払いになられるでしょうか?
10年分と考えるのであれば、1か月1万円で計算して、120万円、1か月5000円で計算して、30年分の近道が可能になると考えると180万円になります。
それだけの内容が詰まったこちらの講義動画ですが、今回はたった29800円の投資で受講していただけるようにさせて頂きます。
購入手続きはとても簡単で、お支払い方法をクレジットカード、ペイパル、ペイペイ、銀行振り込みよりお選びいただいた上で、講義をお届けさせて頂くメールアドレスとお名前をご入力下さい。
もしも、今お手元にクレジットカードがあるという方、あるいはペイパルアカウントをお持ちの方であれば、5分ほどで手続きが完了します。
ペイペイでのお支払いをご希望の方のみ少し別の手続きが必要になりますので、こちらをクリックして問い合わせページより「疲労の講義、ペイペイでの支払い希望」とご入力の上、送信してください。
「それだけ大口叩いておいてガラクタみたいな講義だったらどうしてくれるんだ?ええ?」
と思われる方の気持ちも非常に分かります。その場合は問い合わせページより「疲労の講義全額返金」とご入力下さい。万が一、ご満足いただけなかった場合には喜んで全額返金させて頂きます。
ですが、わが社の受講生様の数ものべ1万人を超えました。これまで多くの方の受講生様のご満足によって有難いことにこの仕事を生業とさせて頂いております。あなたも他の受講生様の半分程度の満足度でも絶対にご満足いただけるのですが、いかがですか?
ここまで言っても今すぐ決めきれない、もう少し考えたいという方へ
ここまで言っても今すぐには決められない、もう少し考えたいという方のお気持ちもものすごく分かります。その上で、一つ質問させてください。
ここまでの話を聞いて少しでも良さそうだなと思っていただいていますか?なんとなく役立ちそうだなと思っていただけていますか?
もしも思っていただけていないのでしたら、今回の講義はお見送り下さい。また、次の講義を楽しみにお待ち頂けますと幸いです。
少しでも良さそうだなーと思っていただいているあなたには「さすがですね!お目が高いです!」と申し上げさせてください。こちらの講義の真の長所は自分の体内で何が起きているかを理解することで、無駄に悩むことが無くなるとともに、より人体とトレーニングに対する理解が深まり、適切な練習計画が立てられるようになることです。
また、人体に対する理解が深まると、出費の方にも迷いがなくなるようになります。例えば、効きもしないサプリメントを際限なく買ってしまうとか、睡眠時間を削ってサウナにいくとか、ガーミンやアップルウォッチのようなスマートウォッチに振り回されるというようなことが無くなります。何にどれだけをお金を使うかも、自分できちんとその仕組みを理解した上で行動することが出来るようになります。
また、単純に生命現象というものが理解できるようになると、人生観もまた変わってくると思います。生命とはどういうものなのか、生や死というのはどういうものなのか、何故我々の体は原子と比べてこんなにも大きいのか、何故我々の体は数十兆個という天文学的な数字の細胞や京の単位のミトコンドリア、それらの物質が全て化学反応を起こしていると考えると、もしかするとその単位は垓に達する可能性があります。
そういったことを理解すると、自分の体というものに対する理解が深まり、トレーニングにせよ、人生にせよ、物事をより正確に単純化してとらえることが可能になり、迷わずに最適解にたどり着きやすくなります。
さて、ここで少し話題を変えさせて頂きましょう。あなたはこちらの講義を受講しようと財布からクレジットカードを出す、スマホやパソコンの画面を開いて入力し始める、しかし、ふと立ち止まって考えてみる、「私はこの人のことをどれだけ知っているのだろう?よく考えたら全然知らない人かもしれない」あなたはそう思うかもしれません。
そのお気持ちはものすごくよく分かりますし、実際に講習会などでお会いした方からその直後にオンラインスクールにお申込みされる方というのはいらっしゃいます。別に、その前から私のことを信頼していない訳ではなかったけれど、実際に会ってみて私のことを改めて知ったと感じる方は一定数いらっしゃいます。
そんな方の為に本日は改めて皆様に私の紹介をさせてください。
私の名前は池上秀志(いけがみひでゆき)、1993年12月27日に京都府亀岡市に生まれ、亀岡小学校、亀岡中学校、洛南高校、京都教育大学教育学部社会領域専攻、プロランナー、ウェルビーイング株式会社代表取締役という経歴を歩ませて頂いております。
中学、高校では全国駅伝で通算23人抜き、うち1回は区間賞、大学入学以降は京都インカレ、関西インカレ、京都選手権、近畿選手権、上尾ハーフマラソン一般の部、グアムハーフマラソン、ケアンズマラソン、亀岡ハーフマラソン、ハイテクハーフマラソン、谷川真理ハーフマラソンなど国内外の様々なレースで優勝してきました。
そして、2020年からアマチュアランナーさんの指導を始めさせていただき、過去5年間でのべ1万名の方に書籍や講義動画にお申込みいただき、多くの方がランニング人生を変えてきました。
京都教育大学では4年間分かりやすい授業づくりについて学び、長距離走、マラソンの真理を分かりやすく伝えることに誇りを持っております。
また、わが社ウェルビーイング株式会社ではインターハイチャンピオンの体幹トレーニングも担当したカリスマインストラクターのSyoko、4年間で4人の滋賀県チャンピオンを育て、うち1人は日本一になり、自身もマラソンで2時間半を切った深澤哲也、富山マラソン3年連続入賞の水越進一、名城大学の二年連続日本一を陰からマネージャーとして支え、中学時代には千葉県チャンピオンにもなった斎藤晴香(旧姓早乙女)、中学時代に3000m9分30秒で走った長谷未生菜(旧姓高田)など、盤石の布陣であなたの目標達成、お悩み解決のお手伝いをさせて頂きます。
最後に、ここまで読んで下さった方に特別にお知らせさせて頂きます。実は現在期間限定で特別価格の13200円で受講していただけるようにさせていております。繰り返しになります。期間限定で通常の受講費29800円に対して、特別価格の13200円で受講していただけるようにさせて頂きます。この期間限定でのご提供は予告なく終了させて頂くことがありますので、予めご了承ください。
本日は1%だけ私を信じてお申込みしてください。そうしていただければ、残りの99%も勝ち取って見せます。絶対にあなたを後悔させませんので、今すぐ下記をクリックしてお申込み下さい。






























コメント