12月1日朝7時、少しの高揚感を持って目が覚める。身支度をしてバナナを一本頬張り、前日の夜にゼッケンをつけておいたレーシングシャツをリュックに入れ、京都にある実家を後にする。
競技場に着くと、どこか懐かしい気持ちが沸き起こる。何しろ高校3年生以来11年ぶりのこの京都・西京極の補助競技場で行われる記録会に出場するのだから。
この日のレースは私にとって特別だった。それはただ、洛南高校時代に最初で最後の5000mで14分台をマークした引退レースに、11年ぶりに出場するからというだけではない。今年、800mで全国大会出場を果たした中学3年生の教え子、そして、ウェルビーイング株式会社代表の池上秀志と一緒のレースに出場する予定だったからだ。
残念ながら教え子とは別組になってしまい、一緒に出走することは叶わなかった。彼とは後日、競技場へ一緒に赴き、たった二人でのタイムトライアルをすることとなった。つまりこの日は、池上と私が二人で3000mレースに出場することとなった。
池上と一緒のレースに出走するのは、彼が洛南高校を卒業する前、つまり2011年の12月のこのレース以来だった。12年前に一緒に5000mを走ったこの同じ京都陸協記録会で、今度はお互い大人となり、ビジネスパートナーとなってもなお、3000mという競技を一緒に走るというのは面白い縁である。高校卒業後、約8年間にわたって競技から離れてた時は、まさかこんな日が来るなんて思いもしなかった。
会場について教え子の3000mレースを見届け、大変な刺激を受ける。前半から果敢に攻めるも、残念ながら自己ベストには及ばず。都道府県対抗男子駅伝の代表枠をかけて懸命に走った教え子の姿から勇気をもらい、私はウォーミングアップへと向かった。するとアップの途中、競技場に到着した池上と遭遇。
「今日はどれくらいのペースで行かれるのですか」
「一周70秒で刻んでいこうと思う」
「じゃあ、つけるところまでついていきます」
これだけの会話を交わし、私はアップに戻る。体も温まり、レースシューズに履き替え、レーシングシャツを身に纏い、スタート前の最終コールへと向かう。やはり、レーシングシャツを着ると気合が入る。
最終コールを受け終わり、競技場のバックストレートで流しを3本行う。9日前の福知山マラソンのダメージは確かにまだ残っているが、なんとかまともに走れる体になってよかった。そんな安堵感と、池上との久々のレースからくる高揚感の入り混じった、心地よい緊張感を持ってスタートラインに立った。
10時29分。スタート前のファンファーレが鳴り響く。「会場内のすべての皆様。只今より男子3000m最終組が始まります。果たして8分台は何人出るのだろうか!?」京都外大西高校の藤井勘太先生の熱い実況が響き渡り、会場の熱気は高まるも、私の心は落ち着いていた。20レーンに立つ私の真横には、私が人生で最も尊敬する先輩であり、そして最も追いつきたい対象である池上秀志が直立して瞑想をしている。
10時30分、場内アナウンスも終わり、審判員からの「On your mark(位置について)」の掛け声に合わせて、スタンディングスタートの姿勢を取る。左には全国高校駅伝を控え、メンバー争いの渦中であろう高校生、そして右には池上。
「ああ、懐かしいな」
そんな感慨深い気持ちが一瞬よぎるも、すぐにレースへの集中状態へ。号砲がなり、池上が前に出る。私は彼のゼッケンナンバー「2286」を徹底マークするように、真後ろについた。
しかし、この組には38人のランナーが出走していた。トラックレースで38人というのは、かなりの大所帯である。転倒とオーバーペースを避けるため、池上と私は後方に位置を取ってレースを進める。スタート直後は38人中、35番目ほどであった。その後も最初の400mを抜ける頃までは、かなりの押し合いになっており、目の前で池上が高校生と押し合っている姿を確認できた。私も例に漏れず、高校生に押され、押し返し、容赦のない時速20kmの戦いが始まった。
400mを通過。70秒。事前の予告通り、池上はピッタリ2’55”/kmペースでレースを進めた。私はピッタリと後ろについたが、まだ位置取りのせめぎ合いは終わらない。私は、池上との間に少しの隙間を作ってしまった。この隙間ができた一瞬の間に、数名の学生ランナーが入り込んだ。譲るべきではなかった。ここから、池上との差は開く一方となってしまったのだから。
1000mは2’59”で通過。すでに池上とは3~4秒の差が開いている。ただ、トラックでのこの秒差は思っているよりも近く感じるもの。池上が一人、また一人と抜き去って順位を上げていくのが見える。池上が抜かした選手を、後追いで私も抜かしていく。ああ、この感じ、12年前と全く同じやな。そんなことをまた思い出す。あの時も池上とはこれくらいの差で、後半になるにつれて徐々に差を開けられていったな。当時から、後半型の走りができる彼がとても羨ましかった。あれから、12年経った今でも変わっていないな、と、妙な嬉しさのようなものが込み上げ、自然と笑みが溢れる。
そうしていくうちに、4分29秒あたりで1500mを通過。正直、この時点で少し余裕は無くなってきていた。9日前の福知山の疲労が明らかに出ており、脚が重い。加えて、マラソンの練習しかしていなかったので、3000mレースペースのトレーニングはもちろん不足している。当然ながら、呼吸はすでにかなり苦しい。
2000mを通過。タイムは6分ちょうど。あと1000mを3分切って走れなければ、またも8分台は逃すことになる。しかし、無情にも池上の背中のゼッケンの文字は明らかに見えにくくなっている。ペースが上がらない。呼吸が苦しい。脚が重い。3000mや5000mのレースを走ると、いつも不安になる。こんな苦しいのに、本当にこのまま走り切れるのか?と。マラソンとはやっぱり、全然違う苦しさ。死にそうな苦しさである。
陸にいながら溺れるかのような苦しさを味わいながら、ようやくラスト1周を迎える。時計は7分53秒を差している。ラスト1周を67秒以内で帰って来れば、8分台。しかし、すでに体は限界。67秒というと、今の私に取っては元気な状態で走っても、ちょっと頑張らなければいけないタイム。つまり、今日、8分台を出すのはもう難しいかもしれない。
頭では分かってはいた。でも、数十メートル前方で池上が懸命にラストスパートをしている姿が目に入った。負けていられない。彼のことだ、今日の全力を振り絞っているだろう。自分も振り絞らなければ、また差は開く一方だ。動けこのやろう!頼む!
自分の脚、そして心臓、肺に喝を送り、ラスト200mを迎える。福知山のダメージで、もう脚は限界がきていた。こうなればとにかく、上半身でなんとか持っていくしかない。最後に思いっきり上げれば、8分台が出るかもしれない。池上との差を1秒でも詰められるかもしれない。10秒以内で、帰ってこれるかもしれない、、
苦しさの絶頂の中、9分3秒23というタイムでゴールラインを超えた。ちょうど目の前には、池上が膝に手をついていた。今日の全力は振り絞られたのだろう。もちろん、彼のこの日のタイムは、自己ベストからは遥か遠いものだ。でも、明らかに同じ舞台で走れていた。結果、彼からは14秒遅れたものの、彼を仕事をやり始め、市民ランナーとして走り始めた2年前からは考えられないくらい、彼の背中が近くなったことを実感した。
もちろん、池上は私なんかとは積み上げてきたものが違う。経験年数も、経験の質も何もかもが違う。彼が度重なる故障に泣かされ、どん底にいたときのこと。彼からのメールで「2時間5分台を一番最初に出すのは俺だと信じている」と書かれていた。当時、彼がすでにプロだったかどうかは失念してしまったが、いずれにしても人生をかけて走っている男の覚悟をひしひしと文面から感じたことを覚えている。
その時の私はといえば、ただ日々を何も考えることなく、目の前の仕事に追われる毎日で、何か大きな大義を持って、目標を持って生きることもなかった。当然、走るなんてこととはかけ離れた生活だった。それが、8年間続いていたのだ。
その8年間で彼との間には当然、大きな差が生まれたはずだ。ランナーということに関していえばなおさらのこと。しかし、2年前に走り始め、そこから現在までのこの短期間で、彼の背中が最後まで見えるところで走れるようになったのは一つの事実。この事実に対し、私はレース後、無性に嬉しさと喜びを覚えていた。
しかし、それはある意味当然のことなのかもしれない。なぜなら、私が走っていない8年間、いや、それどころか池上自身の16年以上の競技経験から学び得た知識や経験を、私は踏襲してトレーニングできているのだから。彼が作ってくれたオンラインスクール「ウェルビーイングオンラインスクール」は、私に8年間のブランクを一気に埋めさせてくれた。
あらゆる世界でそうであるように、先人が成し遂げたことというのは、その次の世代を生きる者によって更新されていく。それは、後人が先人の知恵を使い、それをより発展させることで、先人が一生をかけて成し遂げたことをたったの数年レベルで達成してしまうからである。
私はもしかすると、ウェルビーイングオンラインスクールを使うことで、池上のが16年かけてたどり着いた境地に、もっともっと急速に速く辿り着こうとしているのではないか。もちろん、彼が長い時間かけて積み上げたレベルにちょっとやそっとで辿り着けるものではないことはわかっている。しかし、彼の知識と経験をしっかり使って、最終的には自分のパターンを確立することができれば、いつかは彼を肩を並べて走ることができるのではないだろうか、そんな希望が持つことができる。
いずれにしても、この日のレースでは、ウェルビーイングオンラインスクールを使って愚直に取り組んできたことが間違っていなかったことを改めて感じることができた。今後、池上秀志に挑戦して肩を並べられる日が来ることを信じたいし、自分に期待して鍛錬を積んでいきたいものである。
ウェルビーイング株式会社副社長
らんラボ!代表
深澤哲也
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