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ケニアをケニアにした男:ブラザーコルム

 想像して見てください。あなたは陸上競技の経験がありません。陸上競技のコーチをしたこともありません。そんなあなたがルワンダに地学の教師として、赴任することになり、ルワンダを世界最強の中長距離王国にしろと言われたら、一体世界で何人の人がそれを達成可能だと思うでしょうか?あなたは可能だと思いますか?それとも不可能だと思いますか?

 おそらくほとんどの人が不可能だと思う状況の中で、不可能を可能にした男がいます。あなたはブラザーコルムの名前を聞いたことがありますか?ブラザーコルムの名前を聞いたことがなかったとしても800m世界記録保持者のデイヴィッド・ルディシャの名前は聞いたことがあるでしょう。デイヴィッド・ルディシャの名前を聞いたことがない人もケニアが中長距離王国であることはご存知でしょう。それすら、聞いたことがないという方はきっとこのブログは面白くないので、閉じていただいて結構です。

 さて、ケニアが中長距離王国であることは、走ったことのある人なら誰もがご存知だと思います。特に全国高校駅伝でしのぎを削ってきた人なら誰しも、ケニア人留学生の驚異的な速さに舌を巻いたことがあるはずです。私自身も日本海駅伝で4区を走った時、後ろから豊川高校のカレミ・ズク選手に追いつかれた時、できるだけ付いていったのですが、一キロと持ちませんでした。もう少し挑戦したい気持ちはなくはなかったのですが、チームスポーツである駅伝では早め早めに離れざるをえません。私は100チーム以上が出場し、西日本の強豪校はほとんどが出場することから都大路の前哨戦とも呼ばれる日本海駅伝の4区で区間5位でした。日本人では今RDCランニングクラブでコーチをしている中谷圭祐君に負けただけでしたが、上位3人のケニア人は私よりも8キロで1分ほど速かったです。

 今世界で800mからマラソンまでの中長距離種目を見てもケニア人が牛耳っています。圧倒的にケニア人が強いです。では、ケニアは歴史的にずっと強かったのかというと決してそうではありません。歴史的にはむしろかなり浅いです。そもそもの話をすると1960年までケニアはイギリスでした。ケニアという国自体がイギリスや民族間での闘争の繰り返しであり、とてもマラソンに集中できるという国政ではありませんでした。

 ところが、そんなケニアが世界でもトップの中長距離王国となるきっかけを作ったのがブラザーコルムです。ブラザーというのはファザー(神父)と同じようにキリスト教における一つの階級で、シスターの男版だと思ってもらえれば分かりやすいと思います。そんなブラザーコルムが、ケニアの田舎町イテンにあるセントパトリック高校に赴任したのが1976年のことです。当時、世界でも強かったのはイギリス、アメリカ、東ドイツ、西ドイツ、ソ連、日本といった国々でした。ビル・ロジャース、フランクショーター、宗さんご兄弟、宇佐美彰夫さんらが活躍し、瀬古さんが箱根駅伝でお茶の間を沸かし、中山さんが国鉄のアルバイト職員として、社会のどん底に落とされたと感じていた頃です。中距離ではスティーブ・クラム、セバスチャン・コーら活躍していた頃です。

 その頃のケニアと言えば、1968年のメキシコオリンピックで活躍したキップ・ケイノがいただけで国全体としては、中長距離ランナーはほとんどいませんでした。私自身もイテンには合計で4ヶ月ほど滞在して合宿をしましたが、その時でも洗濯機なし、冷蔵庫無し、ガスコンロ無し、水洗トイレ無し、当然お風呂も冷暖房もなしという環境での合宿生活でした。とは言え、外国人向けのホテルもできて、一応そういった電気冷蔵庫や浴槽があるホテルもできてはいました。ただ1976年はまだ、外国人向けのホテルもなく、街に冷蔵庫が一つもなかった時代です。

 そんなところに故郷のアイルランドを離れて赴任したのがブラザー・コルムです。信仰を持たない私には理解できませんが、神の思し召しとでも思わなければ赴任できないでしょう(トレーニングの為に現地キャンプに入った私も人のことは言えませんが)。

 陸上経験を持たないブラザー・コルムがやっていたのが器械体操です。そして、実はこれがブラザー・コルムが陸上競技の世界でトップコーチになった一つの理由です。器械体操というのは三次元空間の中で、体を繊細に扱う競技です。そして、陸上競技においても走り方というのは非常に重要です。今私の母校の洛南高校も信じられないくらいレベルが上がっていますが、たまに練習を覗いて思うのは走り方が綺麗だということです。私たちの時も動きづくりや基礎体力作りにものすごく時間を割いていたのですが、私が在籍していた時よりもはるかに洗練されているように感じます。佐久長聖高校も、両角先生から高見澤先生に変わってから、走行距離を減らし、動きづくりを増やしたと聞いています。

 ブラザーコルムのチームでもコアワーク、ドリル、ピラティス、ヨガ、そして対角線と呼ばれる動きづくりにものすごく時間を割いていました。そんなブラザーコルムが走り方に関して大切にしているのがFASTの四要素です。

F=Focus(集中)

・姿勢に集中する

・腕振りは肩からふる

・肘は九十度に固定する

・腕は体を交差しない

・20m-25m前を見つめる

A=Alignment (照準)

・踵からの接地はブレーキとなり、ペースダウン及び故障の原因となる

・つま先接地はアキレス腱やふくらはぎに過度な負担をかける

・足はお尻の真下に中足部で着かなければいけない

S=Stability(安定感)

・足首から前傾し、決して体だけで前傾しない

・良い姿勢を維持する

・体幹を締める

・重心を前に移動する

・足首の柔軟性を使い、つま先で地面を押す動きを最小限にする。

T=Timing

・タイミングとは一分間に何歩のステップを刻むかである。

・エリートランナーは一分間に180歩以上のステップを刻む。これは400mからマラソンまで共通している

・全てのランナーは一分間に180歩以上の歩数をゴールとする。

 これらが大雑把にまとめたブラザーコルムのトレーニングに対するアプローチの一つ目となります。

全体的なアプローチ

 二つ目は、全体的なアプローチです。彼のアプローチの二大特徴のもう一つは全体的なアプローチです。彼自身は陸上競技の経験もありませんし、陸上競技の指導をしたこともありません。その結果として、彼は非常に柔軟なオープンマインドを持っていました。必要なことは全て選手から教えてもらったと彼は言います。その結果として、彼は選手の人間性や家庭環境など、総合的にアプローチしていくことの重要性に気づきました。

 一言で陸上競技について学ぶといっても色々なやり方があります。その中で「科学」という言葉が一人歩きしているような印象を私も受けます。私たちが忘れてはいけないことは科学的な知見も人間を観察するところから生まれているということです。ところが、一度赤学者たちが論文として学会で発表したり、雑誌で取り上げられたりすると、科学的な知見が一人歩きし、そこには個人が存在しないような扱い方をされます。ですが、人間というのは実際には一人一人違いますし、性格の違いやプライベートが陸上競技に影響を与えるのは、間違いありません。プライベートを言い訳にするよりも、プライベートが競技に影響するなら自分の考え方を変えたり、プライベートを改善する方が建設的なのですが、どうも多くの選手や指導者にとって個々と全体の関係性を見落としがちです。

 なので、ブラザーコルムの選手達は、シーズンが終わると一人一人ブラザーコルムと一対一の面談を行います。昨シーズンの中でどこが良くてどこが悪かったのかを話し合い、改善案を出します。この時重要なのは選手の感覚と自分の感覚を照らし合わせることです。決して、理論や運動生理学を押し付けることはしません。彼のトレーニングはそういった膨大な数の試行錯誤の上に形成されました。そういった経験から、原理原則が生み出されます。全体的で個別のアプローチをすることは、決して原理原則を持たないことではありません。例えばですが、彼の長いコーチ人生の中で、レース結果が良くなかった選手はスピードトレーニングをやりたがるが、得てしてそういったときは有酸素パワーを向上させるようなトレーニングを取り入れた方が結果が良くなるという原則を見出しました。原則という言葉が、わかりにくければ傾向を見出しました。ずっと競技を続けたり、指導を続けていると必ずそういった傾向が出てきます。そういった傾向はもちろん、彼も大切にしています。ですので、トレーニングが大きく変わることはありません。

 その上で個別に選手や自分の感覚と照らし合わせて、アプローチしていくということです。

ケニア人は何故速い?

 ケニア人の速さの秘密を知ることができれば、それを自分自身に生かすことが出来るに違いないと考える人はたくさんいます。私もそのうちの一人です。ちなみにですが、私のコーチディーター・ホーゲンもケニアのマラソンの発展に大きく貢献した方で、「ケニアンマジック」の異名をとったほどです。今は諸事情あり、ケニアのトレーニングキャンプは閉めましたが、東西ドイツが統一した1990年からケニア人選手を指導し始め(コーチホーゲンは東ドイツ出身)、それ以降初マラソンで当時の世界最高記録を樹立したエヴァンス・ルット選手、当時世界歴代2位の記録をマークし、ハーフマラソンでは世界記録も樹立したサミー・リレイ選手をはじめ、多くのビッグレースでのトップ3を輩出してきました。そのコーチが言うには、ケニア人選手でも本当に素質のある選手はごく一部でその数はドイツやアメリカと変わらない、と言います。但し、分母の数が圧倒的に違うとも言います。

 ドイツやアメリカではサッカー、バスケ、野球といったスポーツ以外にもコンピューター、数学、弁護士、株式ブローカーとたくさんの選択肢があります。一方で、ケニアでは貧困から抜け出したければ走るしかありません。そして、例え成功しなかったとしてもリスクはありません。なぜなら他の道はないからです。戦後直後の日本では、一般家庭に生まれれば、野球選手か、力士か俳優か、歌手になるくらいしかお金持ちになる方法はありませんでした。それをさらに極端にした状態です。

 日本では幸か不幸か、マラソンをやる必要はありません。お金を稼ぐだけならマラソンよりも起業する方がはるかに簡単です。私が身をもって経験していますが、起業はマラソンと比べると10倍くらい楽です。

 話を元に戻すと、コーチホーゲンが一度ブラザーコルムに素質のある選手はどのくらいいるかと聞いたところ、10%という答えが返ってきたそうです。ケニア人選手も何か特別なことがある訳ではありません。アメリカで野球、ブラジルでサッカーが盛んなようにケニア人が中長距離で強いのは文化の問題だとブラザーコルムは言っていました。それに加えて、ケニア人選手の多くは貧困家庭から来ているので、問題への対処の仕方が上手いとも言っていました。普通に生きているだけで様々な問題に直面します。なのでケニア人選手はストレス耐性が強いです。但し、これは日本人の私たちが思い描くような「おしん」のような我慢ではありません。一言で言えば、ケニア人のそれは「気にしない」です。全く気にしません。こいつらどういう心の構造してるんだっていうくらい気にしません。だから遅刻しても悪びれたところもないし、遅刻も治りません。雇用者からすると、これ以上ないくらい扱いづらいです。でも良い面としてはそれが競技に出ています。結果が悪くても「今日はツイテなかった」で話は終わりで、また次へと向かっていきます。そういう面では日本人は生真面目すぎる部分もあるかもしれません。個人的には日本がマラソン大国なのはこの生真面目さと勤勉さだとは思っているのですが、総じて選手寿命が短いです。これにはマラソンをやるよりも他の仕事の方が金を稼ぐのが楽なのと、やはり生真面目すぎるというのがあるのでしょう。

 ブラザーコルムもケニア人の強さの秘訣は文化と規律、そしてストレス耐性だと言っていました。「えっ規律というのは先述の内容と矛盾するのではないか」と思われるかもしれませんが、これまた面白いことに陸上競技に関してだけはもの凄く規律があります。トレーニングキャンプの生活もほとんど毎日同じ生活リズムです。プライベートもまるでないところで、本当に規律のある生活をしています。これがケニア人選手の面白いところです。

追伸

 今回はブラザーコルムという人を描いてみたのですが、いかがでしたか?私も一度ブラザーコルムのグループのトレーニングに参加させてもらったことがあり、その際にも色々とお話を伺いました。さて、少々急ではありますが、7月17日金曜日の19時より、90分ほど、ブラザーコルムの選手の実際のトレーニングプログラムも公開しながら、ウェビナーを開催したいと思います。実際に彼の選手たちがどのようにトレーニングをしているのか、そのポイントも解説しますので、興味のある方は是非ご参加ください。詳細は下記のURLよりご覧ください。

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ランニング書籍

講師紹介
​ウェルビーイング株式会社代表取締役
池上秀志

経歴

中学 京都府亀岡市立亀岡中学校

都道府県対抗男子駅伝6区区間賞 自己ベスト3km 8分51秒

 

高校 洛南高校

京都府駅伝3年連続区間賞 チームも優勝

全国高校駅伝3年連続出場 19位 11位 18位

 

大学 京都教育大学

京都インカレ10000m優勝

関西インカレ10000m優勝 ハーフマラソン優勝

西日本インカレ 5000m 2位 10000m 2位

京都選手権 10000m優勝

近畿選手権 10000m優勝

谷川真理ハーフマラソン優勝

グアムハーフマラソン優勝

上尾ハーフマラソン一般の部優勝

 

大学卒業後

実業団4社からの誘いを断り、ドイツ人コーチDieter Hogenの下でトレーニングを続ける。所属は1990年にCoach Hogen、イギリス人マネージャーのキム・マクドナルドらで立ち上げたKimbia Athletics。

 

大阪ロードレース優勝

ハイテクハーフマラソン二連覇

ももクロマニアハーフマラソン2位

グアムマラソン優勝

大阪マラソン2位

 

自己ベスト

ハーフマラソン 63分09秒

30km 1時間31分53秒

マラソン 2時間13分41秒

​ウェルビーイング株式会社副社長
らんラボ!代表
深澤 哲也

IMG_5423.JPG

経歴

中学 京都市立音羽中学校

高校 洛南高校

↓(競技引退)

大学 立命館大学(陸上はせず)

​↓

大学卒業後

一般企業に勤め、社内のランニング同好会に所属して年に数回リレーマラソンや駅伝を走るも、継続的なトレーニングはほとんどせず。

2020年、ウェルビーイング株式会社の設立をきっかけに約8年ぶりに市民ランナーとして走り始る。

感覚だけで走っていた競技者時代から一変、市民ランナーになってから学んだウェルビーイングのコンテンツでは、理論を先に理解してから体で実践する、というやり方を知る。始めは理解できるか不安を持ちつつも、驚くほど効率的に走力が伸びていくことを実感し、ランニングにおける理論の重要性を痛感。

現在は市民ランナーのランニングにおける目標達成、お悩み解決のための情報発信や、ジュニアコーチングで中学生ランナーも指導し、教え子は2年生で滋賀県の中学チャンピオンとなり、3年生では800mで全国大会にも出場。

 

実績

京都府高校駅伝区間賞

全日本琵琶湖クロカン8位入賞

高槻シティハーフマラソン

5kmの部優勝 など

~自己ベスト~

3,000m 8:42(2012)
5,000m 14:57(2012)
10,000m 32:24(2023)
ハーフマラソン 1:08:21(2024)

​マラソン 2:36:14(2024)

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