荒獅子の歌
- 秀志 池上
- 8月5日
- 読了時間: 12分
こんにちは!
昨日までウェルビーイングオンラインスクールの人間編をばら売りさせて頂いていたのですが、元々の受講生様と合わせて非常に多くの方に早速受講して頂き、本当に光栄です。ありがとうございます。
さて、実はウェルビーイングオンラインスクールの人間編作成にあたりまして、それを体現できるような歌があれば良いなということで、ウェルビーイングの歌、その名も荒獅子の歌を作成させて頂きました。
本日はどういう意図でこの歌を作成したのか、歌詞の意味を解説させて頂きたいのですが、その前に、まだ歌をご覧になられていない方は是非ご覧ください↓↓
作曲 Toxic Out Brain
作詞 池上秀志
歌 池上秀志 深澤哲也
動画編集者 深澤哲也
私自身もみていて夢か現実かよく分からないと言いますか、ちょっとクスっとしてしまうところも何カ所かあります(笑)
そんな荒獅子の歌ですが、先ずは曲名になっている荒獅子は何を表すかと言いますと、市民ランナー界のトップをひた走る、あるいは市民ランナー界のトップを目指す皆さま一人一人のことを指します。
獅子は百獣の王と言うように、草原を力強く駆け回り、そしてその食物連鎖の頂点に君臨する王たる存在です。獅子が草原の王たるのと同じで、我々もアマチュアランナー界のトップに君臨する獅子の群れであるということです。
また、獅子は我が子を谷底に突き落とすとも言われ、非常に秀逸な教育法をもっています。我が子を谷底に突き落としてそこから這い上がるのを見守るのはもちろんのこと、自分自身にも様々な困難を与え、それを乗り超えることでより強い自分を作っていくのが我々獅子の群れです。
その頭に荒いという言葉がついていますが、これはより力強さを示す言葉です。鷲と書くよりも荒鷲と書いた方が力強いのと同様で、獅子と書くよりも荒獅子と書いた方が力強い訳です。
それでは歌詞解説に入らせて頂きます。
一番
我は荒獅子我が敵は わが身に潜む臆病ぞ
これに打ち克つ我が銃は 心に秘めたる克己心
克己の心を持つものは などておそるることやある
鬼神に恥じぬ勇持ちて 我らは行かん心して
起つ秋こそは今なるぞ 人に後れて恥かくな
いざ益荒男となるまでは 走れや走れ諸共に
滴る汗を光らせて などてたゆとうことやある
先ず一番は自らを荒獅子と名乗った上で、その最大の敵は自分自身の中にある臆病風、つまり獅子身中の虫とは臆病風に吹かれることであると言っている訳です。これに打ち克つことこそが小我を強くするのに、最も必要なことです。
逆の言い方をすれば、全く臆病風に吹かれず、恐怖も感じず、苦痛も感じないのであれば、自分を甘やかしすぎで、自分の成長というものが望めないでしょう。
これに打ち克つ心こそが克己心であり、勇気です。勇気をもって何が何でも突き進む、心して進むのが大和魂であり、これも小我を強くするのに必須の要素です。
起つ秋こそは今なるぞ、と書いていますが、まあどんな時でも起つ秋は今なのです。秋と書くからと言って、次の秋になったら頑張ろうではダメなのです。起つという字は立つよりも強い漢字です。決起集会の起、起業の起であり、単に立つというのとは違うのです。自らに一大変革を起こすのが起つという言葉です。
秋という字も時よりも強い言葉です。時というのは単純に時刻とか時間とかそういったものを表す言葉ですが、秋という字は「革命の秋至る」とか「ああ万世の大君に 水漬き草生す忠烈の 誓い致さん秋来たる」などと言う時に使う漢字です。まさに自己変革の秋なのです。
人に後れて恥かくなとはここで不快感を生み出している訳です。人に後れるのは恥なんです。他の人が小我を鍛えようと前に進んでいる時に自分だけ後れるのは恥なんです。恥ずかしいから、それが嫌だから頑張れる訳です。これがモチベーションであり、正しい不快感の使い方です。
その次の益荒男とは何かということですが、これは古来より日本人が理想としてきた男を指します。男の中の男です。男の中の男とは何かということですが、先ずそもそも男とは田んぼの力、つまり第一次産業に従事する体力を持っていること、荒いという字は私は力強さのことと理解しています。力が強いということです。
力は6種類、講義の中で挙げさせて頂きましたが、覚えておられるでしょうか?
体力、氣力、知力、金銭力、胆力、精力の6つです。これが強いのが益荒男の条件です。益荒男の頭の文字は益です。有益の益であり、これは人の役に立つことだと私は理解しています。つまり、強いだけではなく、その力を正しく使うことが求められる訳です。これが益荒男の条件です。
益荒男に対応する言葉は手弱女(たおやめ)です。手は手作業のことであり、家事のことであり、繊細さのことであると理解しています。弱いというのは優しく従順で素直であると理解しています。
古来より益荒男と手弱女の組み合わせが理想であると、日本人は考えてきたのです。私もその考え方に賛成です。
益荒男になるまでは、共に走り続けよう、走ることで体力、氣力、知力、胆力を共に鍛えようと言っている訳です。滴る汗を光らせては言葉の通りで、特に説明の必要もないと思いますが、水も滴る良い男という言葉があります。私もやっぱり額に汗を光らせているのが良い男だと思っております。
「などてたゆとうことやある」は反語になっている文章で、直訳すると「何ゆえにたゆとうことがあるだろうか、いやそんなことはない」という意味です。では、たゆとう(たゆたう)とはどういう意味かということですが、現代風に言えば、ブレるということです。
たゆたうというのは、船が水に浮かんでぷかぷかと上下に揺れているような様を表します。揺れてないで、芯を一本貫いて頑張りましょうということです。
2番
龍虎相搏決戦に 鉄より堅き心持つ
終戦この方廃れたる 日本男児の今更に
また世に出ずる身の誉 荒獅子ここに集いたり
堅き心の一徹に 荒獅子魂あるものの
時こそ来たれ令一下 一歩も後に引く勿れ
いざ益荒男となるまでは 走れや走れ諸共に
滴る汗を光らせて などてたゆとうことやある
2番の歌詞は龍虎相搏とはどういう意味かと言いますと、龍と虎は強いものの象徴です。相搏はあいうつという意味で、龍と虎が闘う、つまりは一大決戦のことを指します。
この一大決戦において鉄よりも堅い心、つまり絶対に折れないブレない曲がらない心を持つ大和男児、それも終戦以来廃れてしまった大和男児である荒獅子が、またこの世に出てくる感激を全身に感じて集うということです。
維新この方でも良かったのですが、江戸時代に書かれた文献よりも昭和の初期に書かれた文献の方が圧倒的に多く、また読みやすく、そして映像も多数残っていることから、終戦この方廃れたるの方がイメージしやすいだろうということで終戦この方廃れたるとさせて頂きました。
いずれにしても戦後80年、これぞ益荒男というような人が少なくなりましたから、我々の希少価値というものは今後ますます高まり続けるでしょう。
堅き心の一徹とは何が何でもやり抜く心意気のことであり、大和魂のことです。大和魂こそが荒獅子魂なのです。
時こそ来たれ令一下とは命令が一斉に下ることを指しますが、その命令は誰が下すのでしょうか?
人間編をきちんと受講して下さった方はお分かり頂いていると思います。私じゃないですよ(笑)この地球上には自然がもつ情報的な力というものがあり、その情報的な力が我々に命ずるのです。横文字で言えば、プログラミングされているのです。
ですから、一歩も引いてはならないし、引いても良いことはありません。前進こそが幸福への道なのです。
あとは1番と同じです。
3番
前を望めば苦難なり 右も左もまた苦難
御空の月を見やりては 七難八苦を望むのも
我らが力試すため 常に前へと意地を見せん
闘魂燃ゆる荒獅子の 気鋭をここに今見よや
人生意気に感じては 成否を誰か論う
いざ益荒男となるまでは 走れや走れ諸共に
滴る汗を光らせて などてたゆとうことやある
3番は前を望めば苦難なり、右も左もまた苦難から始まりますが、そういう状況へと自分を持っていくのは自分自身です。わざわざそうすることで、小我を強くするわけです。
ですが、これはストイックというのとは違うことは講義内で解説させて頂いた通りです。子供がわざわざ危ない遊び、危険な遊びをやるのと同じです。大人は子供よりも強い訳ですから、それをさらに発展させた形で遊ぶ訳です。それを周囲の人間から見たら苦難に見えるということです。
次の「御空の月を見やりては七難八苦を望むのも」というのは故事によるもので、山中鹿之助という武将が昔月に向かって「月よ我に七難八苦を与えたまえ」と祈ったという故事によるものです。
そして、月に七難八苦を願うのはやはり小我を鍛えるため、自分の力試しの為です。その力試しにあたっては常に前へと意地を見せ、闘魂を炎と燃やす気高き荒獅子の気鋭、つまり氣力を見せてやるから見たまえという心意気です。
「人生意気に感じては成否を誰か論う」というのも故事より来ています。諸葛孔明の死に際を表して「功名いずれ夢の跡、消えざるものはただ誠、心を尽くし身を致し、成否を天に委ねては、魂遠く離れゆく、高き貴きたぐひなき、悲運を君よ天に謝せ」と、確か土井晩翠という人が書いたのだと思いますが、ここから来ています。
功名とは成功や功績のことです。それが夢の跡と言っている訳ですから、儚いものだと言っている訳です。幻のようなものだということです。しかし、消えないのは誠の心なのです。だから、心を尽くし身を致し、成功するか失敗するかは天にお任せして、死にゆくこの時も、尊い悲運を天に感謝せよという訳です。
私なりに理解するのであれば、小我を鍛え、大我に生き、真我に生きたのであれば、(世俗的な価値観において)成功したのか失敗したのかはどっちでも良いということです。じゃあ、なんでどっちでも良いのかと言いますと、小我を鍛え、大我に生き、真我に生きれば、自分も周囲の人も幸福になるか、少なくとも不幸を避けることに貢献することが出来るからです。
とは言え、それでも上手くいかないことはあるでしょう。しかしながら、そんなことは天にお任せしなさいということです。
大我を例に出せば、皇国に殉じて草生す屍となるも、皇国は戦争に負けるかもしれません。しかしながら、そんなものは天にお任せして、誠の心と共に散華せよということです。
真我を例に出せば、自分一人が真理のために死んだとしても、アテナイの青年たちはやはり堕落したままかもしれません。しかしながら、そんなものは天にお任せして、誠の心と共に毒人参飲んで死んだら良いということです。
繰り返しになりますが、何故大我や真我の為に死ぬることを恐れてはならないかと言いますと、それが小我の行きつく先だからです。小我は元々何がなんでも生き抜く力です。しかし、それの行きつく先は、死をも恐れないことなのです。この調和を見落とさないようにしてください。
初めから生き抜く力がないのはただ弱いだけです。
しかし、生き抜くための力を養おうと思うと、さまざまな恐怖や不安や苦痛を乗り超えなければなりません。そして、それが行きつくところまで行きつくと死ぬことすらも恐れないという境地に達する訳です。
ただ単に、死ぬことを美化していると思われてしまったら、それは理解が浅いです。基本は絶対に死なないように生き抜く力を養うこと、自分だけではなく、他人も死なないように守れるだけの強い力をつけること、これが基本となり、それをどんどん高めていった先には、どうしても死と対峙せなばならない時もあるということです。
そういう時があるかもしれないし、ないかもしれない。どちらにしても、そんなことは天にお任せすることであり、自分がどうこうするものではないということです。
ちなみに、辞書で「意気」と調べると「事をやりとげようとする積極的な気持ち。気概。いきごみ」と出てきます。まさにそういった気持ちを持ってやったのであれば、あとは(世俗的な意味合いにおける)成功するか失敗するかは天にお任せすれば良いということです。
まあ、そうは言っても、そういう心意気で突き進めば、よほどのことがない限りはある程度は成功してしまうものなのですが、仮に図らずも成功してしまったらそれはそれで良いし、気にするようなことでもないということです。
あとの歌詞はやはり1番と同じです。
荒獅子の歌いかがでしょうか?
まあ、歌声が気に入るかどうか、曲を気に入って頂けるかはどうしても個人差のあるところではあると思います。
しかしながら、一つだけ言えるのは歌詞に関しては、これは気に入る気に入らないの問題ではなくて、人間という生物が進歩するための方法論を短くまとめているということです。特に、人間の中でも男という生き物が完成していく様を短く表現させて頂いております。
じゃあ、女性はどうなのかということですが、家庭や職場では別に手弱女でも構いませんし、そちらの方が益荒男共も喜ぶでしょう。
しかしながら、長距離走、マラソンにおいては益荒男になった方が結果は出やすいですし、せめて7割、8割でも益荒男になれれば、女子の部では無双できるでしょう。
歌詞を暗記するまで口ずさんで頂けますと幸いです。
今回作曲を担当して下さったのは、軍歌を現代風に編曲されているToxic Out Brainさんです。ユーチューブにも多数様々な曲を編曲されておりますので、曲調を気に入られた方は是非ユーチューブで「Toxic Out Brain」と検索してみてください。
荒獅子の衣、Lサイズが残り18枚のみです。
先日より販売させて頂いております荒獅子の衣ですが、SサイズとMサイズがすでに売り切れてしまいまして、Lサイズが残り18枚のみとなりました。
元岩谷産業陸上競技部の大同美空さん(ハーフマラソン71分33秒、10000m32分17秒)からも「通気性とか肌にあたる感覚凄い好きでした!これからも愛用させて頂きます」とのお声を頂いております。
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