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2年前に憧れたこの場所に、今

*これは、実話を元にした短編小説です。ぜひお楽しみください。


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「いつか、そんな日が来ると良いな」


 ああそうだ。そういえば、そんな感覚だったな。今から二年前、僕は「フルマラソンサブ3」ということに対して、まだ遠い存在のように思っていた。


 もちろん、目指したい記録ではあった。でも、当時の自己ベストはまだ、3時間22分。3時間15分も切っていないのに、3時間を切ることは、中々想像し難かったっけ。


 でも、いつもYouTubeで画面越しに見ている深澤さんからのメールで「サブ3を狙える所まで来ている」なんて書かれてしまったから、半信半疑ながらも、その気になっちゃったんだよな。ウェルビーイングオンラインスクールの受講を決心して、まだ想像もできないサブ3を目指して走り出したあの日は、もう二年前なのか。



-1-

 2023年3月。


 それから3ヶ月。僕は板橋シティマラソンに出場した。


 事前に池上さんにレース戦略を相談させてもらい、スタートの混雑にも慌てることなく、冷静に淡々とレースを運んだ。


 3時間15分ペーサーから離されそうになりながらも、なんとか最後に追い上げて、3時間14分05秒でフィニッシュ。ウェルビーイングの二人のサポートを受けて3ヶ月。一気に15分を切った達成感を感じつつも、サブ3というのが完全に目標になってしまったから、満足はしなかった。


 その8ヶ月後。秋のレースで僕は、つくばマラソンを選んだ。


 春先に不測の事故で、前歯を折る怪我をするアクシデントはあったものの、家族の支えもあってその後はしっかりと練習を積むことができた。つくばはフラットで、関東では記録を狙うにはもってこいのコースだ。正直、ここでサブ3を決められるのではないかという想いはあった。


 結果は、3時間4分13秒。10分ほどPBを更新することができ、一年前から考えたら、こんなにも大きくタイムが伸びたことを喜ぶべきなのかもしれない。でも、僕の中のサブ3への確信も一年前から考えたら比べ物にならないほど強くなっていた。大幅にPBを更新したとはいえ、決して満足することはなかった。


 とはいえ、3時間4分まで来たんだ。4ヶ月後の板橋シティマラソンでは、いよいよサブ3も狙っていけるんじゃないか。そんな期待感が、僕の中で膨らむのも感じていた。


 しかし、現実は甘くなかった。


「大失速のヨレヨレ板橋シティマラソン」


 まさかこの日、帰って池上さん、深澤さんにこんな件名でメールを送ることになるとは、思っていなかった。3時間12分1秒。昨年の自分から必死に逃げている有様。そこだけはなんとか逃げ切れて、少しだけホッとしたっけ。でも「サブ3できそうでできない人」になってしまったのかな?そんなことも思ったのが懐かしいな。


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 2024年、11月。あの板橋シティマラソンが終わってから、8ヶ月。今年も秋の本命レースは、つくばにした。去年、3時間14分から3時間4分に一気に記録を伸ばした、相性の良いコースだと思っている。


 この8ヶ月間、全てが順調だったわけではなかった。9月、10月も暑さが長引いて、思うように特異的な距離走も積み上げにくかった。ただ、その中でもやれることはやってきた。そして迎えたのが今日、僕はサブ3に向けた3度目の挑戦として、つくばにいる。


 2年前、深澤さんから「サブ3を目指せる所まで来ている」と言われた時、まだサブ3は自分の中では、正直想像しがたい世界だった。でも、あれからたった2年で「そろそろ良い加減サブ3しないと」と思えるくらい、サブ3が現実味のある、リアルな目標に変わっている。


 スタートの整列に入る。先週までは季節外れの暑さだったが、打って変わって今日は肌寒い。ちょっと日差しは強いけれど、言い訳のできないコンディションだ。まあ、流石に今日はサブ3できない、なんてことはないか。スタートまで残り30秒。ほんの少し、口元が緩む。さあ、行くか。


-3-

 スタートして、最初の5kmは苦労した。去年も経験したとはいえ、やっぱりこの混雑は身体的にもそうだが、心理的にも堪える。


 人が多すぎて、距離表示がほとんど見えない。全く、つくばマラソンはどうしてこうも、距離表示の主張が弱いかな。ペースが全然わからない。僕はGPSウォッチではない。だから、周りの人のラップの音で、なんとなく今のペースを予想した。


 自分の記録で提出して決まったブロックだし、周りを走っている人たちもきっと、僕と似たような記録を持っているのだろう。だから、極端に遅いペースにはならないだろう。ただ、どうだろう。ちょっと遅いかな?わからない。わからないことに対しても、フラストレーションが溜まる。


 5kmを通過し、僕は時計を確認した。21分49秒。


「ほれ、やっぱり」


 予定していたペースより、少し遅かった。6kmから幹線道路に出て、道幅が広がるから、ペースを作り直そう。


 幹線道路を抜けた。よし、やっと自分のペースで走れる。


 「こんなもんだろ?」と思って走るも、「おかしいなー、やばいなー、これでは持つ気がしない。」と、ネガティブな気持ちが芽生えてくる。


 遅れを取り戻さなければ。そんな焦りもなかったわけではない。それに5kmまでの混雑のフラストレーションも手伝って、気づくと4分前後のペースまで一気に上がっていた。


 幸い、僕はそれに7km、8kmで気づくことができた。混雑もマシになって、距離表示がわかりやすかったからだ。オーバーペースに気付いてからは、すぐにペースを戻した。そこからは、4分10秒を露骨に下回らないように、とにかく神経を集中させた。


 大丈夫、まだ余裕はある。でも、油断はするな。前の板橋シティマラソンでは、16キロくらいまで、本気で今日はサブ3できると思っていた。でも、一気に崩れてしまった。マラソンでは、ほんの1km前まで楽だったのに、急に崩れることは珍しくない。調子に乗らず、抑えて、抑えて、飛ばさずに・・


-4-

 中間点を通過した。25kmも余裕を持って通過し、予定通りのペースだ。


 そしていよいよ佳境の30km。まだ余裕はある。でも、30kmは走ってきているんだ。当然脚の重さも出てきてはいる。まだいけるぞ、という気持ちと、ここからが勝負だ、という気持ちが入り混じる。


 前回のつくばも確か、35kmまでは動いていたんだよな。でも、そこから失速してしまったんだった。ダメダメ、まだ油断はできない。でも、今日は去年よりも、通過タイムにも余裕がある。少し貯金もできている。今日こそは本当に、サブ3できるかもー


 そう思った時、少し苦しくなった。焦るな。9月の練習会の時、深澤さんが前を少し走ってくれた風景を思い出せ。目の前に、シャドウティラノを発動させて、それについていくんだ。


 シャドウティラノを発動させると、平常心が保てるからか、少し楽になった気がした。少し進むと、またちょっと苦しくなって、またシャドウティラノを発動させた。


 36kmを過ぎた。このままいけば、2時間58分台は出せる。沿道からも、サブ3するならペースがどうだとか、そんな声も聞こえてきた。ああ、ちょうど僕が走っているこのあたりが、デッドラインなのかもな。


 38kmを過ぎた時、ついにラップが4分20秒を超えた。同じ感覚を保っているのに、ペースが落ちてきた。これまでは、ここから崩れてしまった。でも、サブ3するなら、ここでの崩れ方をいかに最小限にできるか。それによって明暗が分かれる。


 39kmを通過した。コース上の電光タイムを見ると、2時間44分台を指している。頭も疲れて、ぱっと計算ができない。そんな時、僕の心の中の悪魔が、こう囁く。


「サブ3するだけなら、守りに入れるよ」


-5-

 地獄だった。わかってはいる。いつもそうだ。40kmを迎えようとする僕の体や集中力は、すでに限界を迎えようとしていた。おそらく、サブ3はほんの少しならペースを落としても、できるような気がする。


 そんなタイミングでの悪魔の囁きだった。お言葉に甘えちゃおうかしら・・・


 そんな時、ふと頭の中にある映像を思い出した。1週間前の神戸マラソンで、最後の直線をダッシュする深澤さんの姿だった。僕はハッとした。


「それでいいのか??まだ動くぞー、57分は出ないけど、58分は行けるぞ」


 僕は自分にこう言い聞かせ、悪魔を振り払った。流石にもう、MP切れでシャドウティラノは召喚できなかった。でも、大丈夫。さっき、41km地点の距離表示は見た。後1kmあるかないかだろう。


 まだか。ゴールが近いはずだが、まだ見えない。去年も走ったけど、こんなにきつかったっけ?とりあえず、まだ3時間にはなってないよな?間に合うよな?


「頑張れ!あと400mだぞー!」


 沿道からそんな声が聞こえる。どのマラソンに行ってもいるよな。残りの距離を伝えてくれる人。たまに間違ってたりもするんだけど。でも、残り400mってことは、あとトラック一周分か。


 その声を聞いて僕は、気持ちを持ち直したと同時に、緊張の糸が切れたのだろうか。統制の全く取れていないバラバラの手足で、なんとか最後の力を振り絞り、スパートした。


-6-

 終わった。終わってしまった、という方が正しいか。僕の時計は、2時間58分42秒を指している。ああ、やったんだな。サブ3を。


 気づけば肩にはフィニッシャーズタオル、首には完走メダルがかかっていた。あれ?いつもらったっけ?3時間を切ったことへの喜びや安堵感、あとは、レースで脳も疲弊しまくっているから、もはやもらったことすら気づかなかったのかもしれない。


 正直、サブ3に関しては、自分に対するプレッシャーを強くかけていたところもあった。「これだけ走ってサブ3できない方がやばい」と言い聞かせていた。そんな気持ちが裏目に出たのが、去年のつくばや板橋だっただろう。


 でも今回に関しては、本当に冷静に走れたし、レースプランも考えられたと思う。今年改めて基礎構築をやり直して、距離も走り込んで、調整もうまく行って、出すべきしてサブ3を出せたという感触を掴むことができた。


 サブ3に関しては、これまで2回挑戦して失敗したから、なんだかすごく時間がかかったような感覚にはなったけど、2年前の今頃からは、想像もできなかったところに来てしまったんだ。何より、2年前の今頃では、考えられない所までやってきたことが本当に嬉しい。


 これが二年前、深澤さんがメールのやり取りで言っていた「想像もつかないところに、最短最速で到達する」ということなんだろうな。ウェルビーイングオンラインスクールの目指す所そのものになれたかな。


 さて、次のレースは、2月の姫路城マラソンか。残る時間は13週。まあ、13週だと、どれだけバチっとハマっても、せいぜい58分ぎりくらいが良いところかな・・・


 って、もう次のレースのこと考えてる。ほんと、ランナー脳は手の施しようがないよ全く・・・


To be continue….



筆者あとがき


 今回の短編小説は、ウェルビーイングオンラインスクール受講生様の田中正大様からのお声を元に作った、実話に基づいたストーリーです。


 田中さんが受講されたのは今からちょうど二年前、私はその頃まだ神戸マラソン2022を走り終わって、屈辱を受けたあの頃でした。


 田中さんが受講してくださった時期は、私が本気でランナーとして高みを目指す決意をしてウェルビーイングオンラインスクールを受講し直した時と、実はほぼ同時期だったと記憶しています。つまり、田中さんとはなんだか、一緒に成長してきたような感覚になってしまいます。


 田中さんの事例から私が伝えたいこととしては、あるレースに向けて本気でピーキングをして、そして、仮に結果が出なかったとしても、決してそれは無駄にはならないということです。田中さんは、サブ3という目標に向かって、昨年のつくば、今年3月の板橋と、2度跳ね返されてきました。


 特に、3月の板橋に関しては、つくばからもタイムを大きく落とす結果となったため、非常に悔しさの残るものになっていたでしょう。


 ですが、その日タイムが出なかったからといって、それまでに取り組んだことが無駄になるのかというと、全くそんなことはありません。


 むしろ、積み上げた練習の成果が、そのピーキングの中で出なくても、その次のピーキングの時に出てくることもあるのです。


 田中さんは、この2年間で4回ピーキングをされました。こうして何回も何回も一つのレースに向けて、基礎構築から特異的なトレーニングへの移行を行うピーキングを行うことで、徐々にピーキングのレベル自体が上がっていくのです。


 もちろんこれからもきっと、ピーキングを何度も繰り返して、記録を伸ばしていかれることと思います。それは、偶然ではなく、必然なのです。そのための一番基本の考え方を知っていただける内容なのが、ウェルビーイングオンラインスクールであり、それがこれだけ再現性高く劇的成長を実現しているカラクリなのです。


 田中さんが、この先サブ55、サブエガと続いていくのはもう、目に浮かぶようです。ぜひこれからのご活躍も願っています。



ウェルビーイング株式会社副社長

らんラボ!代表

深澤哲也




ご本人からのお声

最後に、田中さんご本人からの自己ベスト報告のお声を紹介させていただきます。


==以下、ご本人より==


・今日のタイム


Start 00:00:27

5km 00:22:16 0:21:49

10km 00:42:37 0:20:21

15km 01:03:47 0:21:10

20km 01:24:36 0:20:49

中間 01:29:17

25km 01:45:31 0:20:55

30km 02:06:38 0:21:07

35km 02:27:45 0:21:07

40km 02:49:23 0:21:38

Finish 02:59:09 0:09:46

タイム(グロス) 2:59:09

タイム(ネット) 2:58:42


 ということになりました。


 長くなりますが(汗)、レース展開としては以下のような流れでした。


 気候は良かったです。日差しが強かったですが、暑さや発汗を感じる様なものはありませんでした。


 一切の言い訳できないコンディションと言えます。


 最初の5キロは相変わらず非常に苦労しました。人が多すぎて、つくばマラソン恒例の全く主張しない距離表示がほとんど見えず、ペースが全然分かりませんでした。


 私はGPSウォッチなどという高級品は装備していないので、回りがピーピー言っているのを参考に、何となくラップを感じていました。


 とはいえ、そこは記録提出ブロックであり、極端な乖離はないと信じていましたが、さすがに、走りにくさに多少のフラストレーションが・・・


 しかも5キロの通過が少し遅かったため、「ほれ、やっぱり」みたいな感じでした。


 6キロあたりから幹線道路に出て、一気に幅が広がるので、ペースを作り直しました。


 「こんなもんだろ?」と思って走るも、「おかしいなー、やばいなー、これでは持つ気がしない。」と、ネガティブな気持ちが・・・。


 それもそのはず、上記のフラストレーションと、距離表示の確認しにくさが相まって、気付くと4分前後のペースに上がっていたようです。

※後から見ると、そこの心拍だけ爆上がり・・・


 なぜ気付けたかというと、人が散って、7、8キロの距離表示が確認しやすく、5キロからの時間差やペースをかなり正確に確認できたからです。


「そりょ、保つわけねぇ。この前の10キロのペースだぞ、オイ」と早々に軌道修正。


 そこからしばらくは4分10を露骨に下回らないようなペースで安定し始めました。


 去年と展開は違いますが、つくばはコース的に8キロ位まで安定しませんね。


 後は、この前の板橋シティの「16キロくらいまで、本気で今日はサブ3できると思っていた」残念経験があったので、とにかく調子に乗らず、抑えて、抑えて、飛ばさずに。特異的距離走と似た感覚を心がけました。気を抜くと上がりますので。


 そのまま、ハーフの通過も順調、25、30まで来ても、「よし、まだまだ全然イケる」というのと同時に、30過ぎからは「ちょっと重さが出始めた、ここから勝負」という、両方がごちゃまぜになった感覚でした。


 加えて、前回のつくばは35くらいまでは、そこそこ動いていたので、本当に油断はできませんでした。


 今回は前回よりも、いくらか時間に余裕がありましたので、そこははるかに気楽でしたね。おそらく「サブ3できるぞ。」と一番うかれていたタイミングだったかと。しかもこの辺ですと、前半飛ばした組をどんどん捉えられるのでノリが良いです。


(この少しキツくなってきたあたりでちょこちょこ、シャドウティラノを発動致しました笑)


 とはいえ、さすがに36を過ぎてくると、ほとんど気合で動かしましたね。(そしてまだ動きました)あと沿道の応援も、サブ3するにはペースがどうしたこうした、といった声も聞こえ始めます。


 38過ぎると、4分20が切れなくなってきました。特に39キロあたりから後は、本当に地獄です笑


 その辺りで2時間44分なんぼと示す時計が目に入った記憶が。

(この頃にはMP切れでシャドウティラノは召喚できませんでした笑)


 一歩間違うと、一気にサブ3を取りこぼしかねませんでしたが、とはいえ、なんとか動いていたので、「サブ3するだけなら、守りに入れるよ」という悪魔のささやきも。


 ここで、神戸の動画の最後の直線を猛ダッシュする深澤さんを思い出し、自分自身に「それでいいのか~??まだ動くぞー、57分は出ないけど、58分は行けるぞ」と言い聞かせ、悪魔のささやきを振り払いました。


 去年の同じタイミングよりはるかにきつかったですし、ゴール直前で「あと400mだぞ~!」と騒いでくれている応援のおかげで何とか気持ちが持ちました。


 それでどうにか糸が切れた凧のように(例え正しい?)、統制の全く取れていないバラバラの手足でラストスパートできました。


 あと、1キロ余計にあったら、そこは5分近くかかったかもしれないくらい、ヨレヨレでした笑


 何とか昨年の無念を晴らしました。


 が、それと同時に、今年改めて基礎構築をやり直し、距離も走り込んでこの記録であれば、去年の自分はサブ3の力はなかった。ということも分かりました。


 今回、トレーニング内容から、調整、レースの展開まで、かなり上出来だったと思います。とはいえ、しかし、38キロ以降、課題が残りました。


 少しリフレッシュしたら、この課題を姫路までに修正できそうかどうか、相談させて下さい。


 今日の感触だと、あと13週でどれだけ上手く修正して、姫路でドはまりしても、せいぜい58分切りがギリギリ。といったところだと思われます。(全く、もう次のこととは、ランナー脳は手の施しようがありません笑)


 さて、2022年年末から年明けごろ、初めて本格的にやりとりを開始した時、「サブ3を狙えるところに来ている」と言って頂きました。


 その時の私はベスト3時間22分ちょっとで、年明けの板橋シティではさすがにもう少し行きたいという程度。「そうか、いつか、そんな日が来ると良いかな」という感じでした。


 そこからお力添えいただき、板橋シティでは3時間ひと桁を目指し、15分切り。


 しかし心理アプローチでわずかその半年後のつくばでは3時間4分13秒?だかで、大幅自己ベストも、悔しくて仕方なく。

(※このように私は5分弱、自身を過信する傾向を学びました。今回、この教訓がなければ、あわよくば55分切りだと見積もっていたでしょうから、一応学習しているようです笑)


 そして今日、「これだけ走ってサブ3できない方がヤバい」という気持ちでスタートし、2年前では考えられない所までやってきました。


 まさにウェルビーイングオンラインスクールの目指す所そのものです。本当にありがとうございます。


 すっかり長くなりましたが、お読みくださいありがとうございます。何よりも、良い報告が出来て、一安心しております。


 なんか最後、若干感傷的になっている気もしますが、深い意味や含みはございません!


PS

 やっぱり私はハーフが好きです。笑



ー田中正大様











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ランニング書籍

講師紹介
​ウェルビーイング株式会社代表取締役
池上秀志

経歴

中学 京都府亀岡市立亀岡中学校

都道府県対抗男子駅伝6区区間賞 自己ベスト3km 8分51秒

 

高校 洛南高校

京都府駅伝3年連続区間賞 チームも優勝

全国高校駅伝3年連続出場 19位 11位 18位

 

大学 京都教育大学

京都インカレ10000m優勝

関西インカレ10000m優勝 ハーフマラソン優勝

西日本インカレ 5000m 2位 10000m 2位

京都選手権 10000m優勝

近畿選手権 10000m優勝

谷川真理ハーフマラソン優勝

グアムハーフマラソン優勝

上尾ハーフマラソン一般の部優勝

 

大学卒業後

実業団4社からの誘いを断り、ドイツ人コーチDieter Hogenの下でトレーニングを続ける。所属は1990年にCoach Hogen、イギリス人マネージャーのキム・マクドナルドらで立ち上げたKimbia Athletics。

 

大阪ロードレース優勝

ハイテクハーフマラソン二連覇

ももクロマニアハーフマラソン2位

グアムマラソン優勝

大阪マラソン2位

 

自己ベスト

ハーフマラソン 63分09秒

30km 1時間31分53秒

マラソン 2時間13分41秒

​ウェルビーイング株式会社副社長
らんラボ!代表
深澤 哲也

IMG_5423.JPG

経歴

中学 京都市立音羽中学校

高校 洛南高校

↓(競技引退)

大学 立命館大学(陸上はせず)

​↓

大学卒業後

一般企業に勤め、社内のランニング同好会に所属して年に数回リレーマラソンや駅伝を走るも、継続的なトレーニングはほとんどせず。

2020年、ウェルビーイング株式会社の設立をきっかけに約8年ぶりに市民ランナーとして走り始る。

感覚だけで走っていた競技者時代から一変、市民ランナーになってから学んだウェルビーイングのコンテンツでは、理論を先に理解してから体で実践する、というやり方を知る。始めは理解できるか不安を持ちつつも、驚くほど効率的に走力が伸びていくことを実感し、ランニングにおける理論の重要性を痛感。

現在は市民ランナーのランニングにおける目標達成、お悩み解決のための情報発信や、ジュニアコーチングで中学生ランナーも指導し、教え子は2年生で滋賀県の中学チャンピオンとなり、3年生では800mで全国大会にも出場。

 

実績

京都府高校駅伝区間賞

全日本琵琶湖クロカン8位入賞

高槻シティハーフマラソン

5kmの部優勝 など

~自己ベスト~

3,000m 8:42(2012)
5,000m 14:57(2012)
10,000m 32:24(2023)
ハーフマラソン 1:08:21(2024)

​マラソン 2:32:18(2024)

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