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執筆者の写真秀志 池上

スポーツに謙虚さは要らない


  1. 謙遜に潜む落とし穴

  2. コンフォートゾーンの形成過程

  3. 謙遜とコンフォートゾーンの関係

1.謙遜に潜む落とし穴

 日本や韓国、中国、儒教思想の国においては謙遜が美徳とされています。また高慢さ傲慢さは嫌われる原因の上位に来るでしょう。スポーツ界でも「調子に乗るな」、「うぬぼれるな」といったことがよく言われます。私が高校時代はうぬぼれている選手にはよく恩師である中島道雄先生から「お前自分のこと強いと思ってんの?」と言われたものです。

 「お前自分のこと強く思ってんの?」と聞かれた場合、模範解答は勿論「いいえ、違います」となります。しかし私は敢えて言いますが、自分のことは強いと思ってください。自分には才能があると思ってください。自分の長所に自信を持ってください。何故なら、それが自分の能力を引き出す正しい方法だからです。その理由は以下に述べていきます。

 何故うぬぼれてはいけないかということを考えた時に、大きな理由の一つは現状に満足して更なる努力をしなくなるからといった理由が挙げられると思います。しかしこれは、よく考えればおかしなことです。自分は優れた人間だと思っていることと、ベストを尽くさなくなることの間には何の関係もありません。世界で一番優れた人間だってその時々でベストを尽くしています。だからスポーツの世界では記録がどんどん塗り替えられたり、新しい技や戦術が編み出されていくわけです。

 そして、実は「自分はまだまだだけど、努力すれば2時間5分台で走れる」みたいな考え方は実は自分を現状にとどめてしまいます。「自分はまだまだだからもっと努力しよう」と心の中で自分に言えば言うほど、現状を維持することになってしまいます。

 何故か?人間にはホメオスタシス機能(恒常性維持機能)というものが備わっています。これは生体を一定の状態に保とうとする機能で、体温を一定に保ったり、心拍数や呼吸を一定に保ってくれるのもこの機能のお陰です。走ってる時、わざわざ意識しなくても心拍数、心臓の一回拍出量、呼吸数が増えるから脳に常に一定の血液と酸素が送られるわけです。そして、人間の優れたところはこの恒常性維持機能をフィクションの世界にも適応できることです。例えば、ホラー映画を観ているとドキドキして、時にはびっくりして「わっ」と声を出してしまう人がいますが、これはフィクションの世界にホメオスタシスを適応しているからです。

 そしてフィクションの世界に生体のホメオスタシス機能を適応できるだけではなく、精神の世界にもある一定の状態を保つ機能があり、その状態にある間は快適に感じることが出来ます。この範囲のことをコンフォートゾーンといいます。何となく昔からの友達とずっとつるんでいたり、なんとなくずっと地元にとどまっていたり、良い条件の別の仕事よりも今の職場にとどまることを選んだりするのは、それがその人にとってコンフォートゾーンだからです。

 逆の例で言えば、大学時代に一度だけ普段は絶対入れないようなホテルのレストランの昼食バイキングが2000円になっていたので高校時代の後輩と一緒に行ったことがありますが、何となくそわそわして落ち着かなかったのを覚えています。それは私達にとってそのホテルのレストランは明らかにコンフォートゾーンの外側にあったからです。

2.コンフォートゾーンの形成過程

 では何がその人のコンフォートゾーンになるかということですが、基本的には馴れ親しんだものがコンフォートゾーンになります。よく勝ち癖がつく、負け癖がつくという言い方をしますが、プロ野球みたいに本来実力が伯仲してるはずの世界で対戦成績が著しく悪い(もしくは良い)カードがありますが、これなどは初めはたまたまでも負けが込んでくると片方は負けるのがコンフォートゾーンになり、もう片方は勝つことがコンフォートゾーンになるからです。この例からわかるように望ましくないこともコンフォートゾーンになってしまいます。

 では慣れ親しんだものだけがコンフォートゾーンになるかというとそうではありません。自分がより現実的に感じるものもコンフォートゾーンになります。なので、まだ2時間5分で走ったことがない選手でもそれが当たり前だと感じられればそれがコンフォートゾーンになります。皆さんも周りに実力がない割には大きな試合に出ても落ち着いて堂々と走ってくる人が一人くらいいるのではないかと思います。それは他人から見てワンランク、ツーランク上だと思うような大会や対戦相手でもその人にとってはそれがコンフォートゾーンの中にあるからです。

 要するに自分が当たり前に感じられるものに無意識は合わせていて、そこからずれると修正しようとするということです。それは上にも下にも修正することになります。陸上競技において、特にインターハイの1500mを観ていると最後はコンマ差の争いになってきます。見ている方からすると、1500mのコンマ差なんてあってないようなものだと思ってしまうのですが、走っている側からするとコンマ差というのは非常に大きく、次走ったら順位が完全に入れ替わるということはあまりありません。通常、次もコンマ差でだいたい同じような順位になります。これは実はインターハイのような対戦回数の少ない試合よりも同じチーム内や京都府予選のようなある程度何度も対戦している選手同士の中での方が高い確率で起こります。それは何度も対戦してるうちに何となく自分は誰よりも速くて誰よりは遅いというものが無意識の中に刻み込まれていくからです。

 そうすると、自分が普段勝っている選手に負けそうになるとそれはその人の中でコンフォートゾーンの外側にいることになるので何とか勝とうという気持ちになって、無意識の力が勝つための力と知恵を最大限に発揮することになります。一方で、普段負けている選手に勝ちそうになるとそれも無意識下では「何かがおかしい、自分は勝てないはずだ」という意識が働き、勝利を逃すような行動をとってしまうのです。

 これはもっと長期的な視点で見た時も同じことです。高校時代に三年間かけて5000m13分台で走ろうと思って努力しても「自分は人と比べて優れた人間ではない」という思いがあったり、周りから「そんなに甘くないよ」と言われて、本人もそれを受け入れていると5000m13分台が見えてきても無意識の力はその目標達成から遠ざかるように働くか若しくは、5000m13分台で走るために必要なことが盲点になってしまいます。人間は自分のコンフォートゾーンの外側にあるものは見ようとしないからです。

3.謙遜とコンフォートゾーンの関係

 1章、2章と読んでいただいて何となく分かっていただけたかと思いますが、自分との対話の中で「自分はまだまだだけど、努力すれば出来る」、「自分には素質がないけど、努力すれば一歩ずつ夢に近づくんだ」という考え方をしている人は、「まだまだな自分」、「素質がない自分」というものが自分のあたりまえの状態=コンフォートゾーンになります。近年言われている「日本マラソン界の低迷とその打開策」というのも同様で、「日本マラソン界が低迷している」という現状を肯定し続ける限り、「打開策」は盲点になってしまいます。基本的に人間は現状維持を望みます。意識的に自分を変えようとしなければ、良くも悪くも無意識の世界では常に現状を維持するように働きかけています。

 日本文化の中で、ある程度謙虚にふるまわなければ不利益を被るのは事実ですし、ましてや他人に対して優越感を感じたりそれを誇示する必要はどこにもありません。しかしよく考えてみてください。「お前自分のこと強いと思ってんの?」と聞かれて「はい、そう思ってます」と答えることは何か悪いことでしょうか?

 私は自分が優れた人間であると周りに言いふらすようには入っていません。他人に向かってわざわざ言う必要はありませんがしかし、聞かれたら嘘をつく必要もないでしょう。

 謙遜が問題なのは他人の前でのみ謙遜しているわけではなく、たいていの場合、心の中での自分自身との対話の中でもそれを繰り返しているからです。自分のあたりまえのレベルを上げるというのは、かなり思い切った想像や目標設定を必要とします。何故なら、少し考えて思いつくようなことはたいてい既に自分のコンフォートゾーンの中にあるものだからです。なので、「俺は才能がある。今の努力を続けていけば、2時間5分台で走れる」という考えも自分の能力を引き出すのには役立ちません。何故なら、「今の努力を続けていけば良い」という現状を肯定する考え方だからです。

 それが自分のコンフォートゾーンの外側にあるかどうかを見極めるのは簡単です。それを他人に言って何となく居心地を悪く感じるのであれば、それは自分のコンフォートゾーンの外側にあると思ってよいでしょう。但し、それがいつまでもコンフォートゾーンの外側にある状態では困ります。自分にとってそれが当たり前だと感じるようになるまで何度もその目標を達成した自分を想像するとともに自分自身との対話を通して自分を肯定しなければなりません。そうすると、「自分にとっては当たり前なのに自分はまだそれを達成していない、何かがおかしい」と無意識が感じるようになります。ここまでくると、後は無意識の力が目標達成のために力を貸してくれ、なおかつそれまでは盲点になっていたことが見えてくるようになります。

 謙遜が美徳であることは否定しませんし、モハメド・アリのようなビッグマウスになることを提唱しているわけでもありません。私が言いたいことは心の中で謙虚にふるまうことが如何に自分の成長を妨げ、盲点を生み出すかということです。そして、一見肯定的に思えるような考え方でも、現状を肯定するような対話を自分自身としている限り、自分の能力を引き出すことは困難になりますよと言うことです。

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ランニング書籍

講師紹介
​ウェルビーイング株式会社代表取締役
池上秀志

経歴

中学 京都府亀岡市立亀岡中学校

都道府県対抗男子駅伝6区区間賞 自己ベスト3km 8分51秒

 

高校 洛南高校

京都府駅伝3年連続区間賞 チームも優勝

全国高校駅伝3年連続出場 19位 11位 18位

 

大学 京都教育大学

京都インカレ10000m優勝

関西インカレ10000m優勝 ハーフマラソン優勝

西日本インカレ 5000m 2位 10000m 2位

京都選手権 10000m優勝

近畿選手権 10000m優勝

谷川真理ハーフマラソン優勝

グアムハーフマラソン優勝

上尾ハーフマラソン一般の部優勝

 

大学卒業後

実業団4社からの誘いを断り、ドイツ人コーチDieter Hogenの下でトレーニングを続ける。所属は1990年にCoach Hogen、イギリス人マネージャーのキム・マクドナルドらで立ち上げたKimbia Athletics。

 

大阪ロードレース優勝

ハイテクハーフマラソン二連覇

ももクロマニアハーフマラソン2位

グアムマラソン優勝

大阪マラソン2位

 

自己ベスト

ハーフマラソン 63分09秒

30km 1時間31分53秒

マラソン 2時間13分41秒

​ウェルビーイング株式会社副社長
らんラボ!代表
深澤 哲也

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経歴

中学 京都市立音羽中学校

高校 洛南高校

↓(競技引退)

大学 立命館大学(陸上はせず)

​↓

大学卒業後

一般企業に勤め、社内のランニング同好会に所属して年に数回リレーマラソンや駅伝を走るも、継続的なトレーニングはほとんどせず。

2020年、ウェルビーイング株式会社の設立をきっかけに約8年ぶりに市民ランナーとして走り始る。

感覚だけで走っていた競技者時代から一変、市民ランナーになってから学んだウェルビーイングのコンテンツでは、理論を先に理解してから体で実践する、というやり方を知る。始めは理解できるか不安を持ちつつも、驚くほど効率的に走力が伸びていくことを実感し、ランニングにおける理論の重要性を痛感。

現在は市民ランナーのランニングにおける目標達成、お悩み解決のための情報発信や、ジュニアコーチングで中学生ランナーも指導し、教え子は2年生で滋賀県の中学チャンピオンとなり、3年生では800mで全国大会にも出場。

 

実績

京都府高校駅伝区間賞

全日本琵琶湖クロカン8位入賞

高槻シティハーフマラソン

5kmの部優勝 など

~自己ベスト~

3,000m 8:42(2012)
5,000m 14:57(2012)
10,000m 32:24(2023)
ハーフマラソン 1:08:21(2024)

​マラソン 2:32:18(2024)

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