さて、具体的な練習方法ですが、私は音楽を用いてその歌詞の情景を思い描くのが良いと思っています。理由は1.ある程度抽象的であり、抽象度を選べること、2.飽きずに続けられること、3.携帯音楽プレーヤーがあればどこででもできることです。2と3に関しては説明するまでもないでしょう。強いて言えばご自身の好きな曲の中から、適した抽象度の曲を探してください。抽象度についてはこれから詳述します。
では1についてもう少し説明します。先ず抽象度ですが、ノンフィクションよりもフィクションの方が抽象的であるのは納得していただけると思います。同じフィクションである映画と比べてみましょう。先ず、映像が無い分、抽象的なのは納得してもらえるでしょう。しかし、映画の音声ファイルをIPodに入れたとしても音楽よりも抽象度は低いです。以下の例で比べてみましょう。
先ず、映画の方ですが『ミリオンダラーベイビー』という映画のワンシーンにトレーナーのフランキーが31歳の未熟な女性ボクサーのマギーにボクシングを諦めるように諭すシーンがあります。そしてそのシーンの最後は次のようなセリフです。
‘’You don’t cry, do you?’’ (泣いたりなんかしないよな?)
‘’No, sir’’ (ええ、フランキーさん)
このケースでyouとは誰でしょうか?「えっ?私のこと?」と思った人は深呼吸してからもう一度落ち着いて読み直してください。youは自動的にマギーのことに限定されます。また物語である以上、例え音声のみであったとしても、31歳の女性で、13歳からウェイトレスをし、貧乏が身についていて、父親は刑務所、母親は生活保護で生活する体重146㎏のデブだという設定があります。勿論、実在の人物ではないので例えば、出身中学に関する設定なんかはこの話にはありませんが、設定されているものに関しては、想像の余地がありません。
では、次に歌の方を見てみましょう。The four seasonsの ‚Big girls don’t cry‘という歌があります。歌詞全体は馬鹿で冷たい男が彼女の気を引こうとして「別れよう」というと予想に反して’’Big girls don’t cry’’(大人の女性は泣かないわ)と言われてしまったという歌詞ですが、最後はこうなります。
silly girl, shame on you your mama said 馬鹿な女、マヌケだね、君の母さんが言ってたよ
silly girl, shame on you’re crying in a bed 馬鹿な女、マヌケだね、ベッドの中で泣いてたんだってね
silly girl, shame on you you told me a lie 馬鹿な女、恥を知りな、僕に嘘ついてたんだから
この場合、泣いているyouとは誰のことでしょうか?今回は「えっ!?私のこと?」と思ったとしても、あなたが男にふられて強がって見せたけど、一人になってから泣き出した人であれば間違いではありません。男の前では強がってみたものの一人になって泣いているすべての女性です。しかし、それは誰か特定の人のことを指しているわけではないという意味では、誰のことでもありません。こういった誰のことでもなく、誰のことでもありうるものをT・S・エリオットは客観的相関物(objective correlatives)と呼びました。歌の歌詞に出てくる人物というのは全て客観的相関物です。例え、それが固有名詞であってもです。例えば、同じThe four seasonsの曲に Sherryという曲があります。
Sherry, Sherry baby, Sherry, Sherry baby シェリー、愛しい人
Sherry baby, Sherry can you come out tonight シェリー、愛しい君、今夜出ておいでよ
(why don’t you come out) to my twist party 出ておいでよ、僕のダンスパーティに来てよ
(come out) where the bright moon shines 出ておいでよ、月の輝くところに
(come out) we’ll dance the night away 出ておいでよ、一晩踊りあかそう
I’m gonna make you mine 君を僕のものにするんだ
この例でも、別にシェリーはシェリーという名前の特定の女性を指しているわけではありません。あくまでも客観的相関物です。『ミリオンダラーベイビー』の中でマギーが一人の女性に限定されるのに比べると、抽象度は高くなります。但し、この曲はまだ抽象度が低いといえます。僕のダンスパーティがどこで開催され、月の輝くところがどこであろうとそれは物理空間に存在するからです。皆さんにとってのシェリーが誰であろうと、或いは女性の視点から見れば、「僕」が誰であろうと、それは人であり、やはり物理空間に存在します。もっと言えば、英語のIは女性でも男性でもありえますが、状況的に「僕」つまり、男性の主語として訳すことが出来ます(勿論、女性がシェリーという女性をダンスに誘って、口説いているシーンを思い描いていただいても構いませんが)。このように歌の方が映画よりも抽象度が高い、行ってみれば想像の余地が多いことがお分かりいただけると思います。
しかし、歌と歌とを比較すると更にそれぞれ抽象度の高さは異なります。これをHelene Fischerという歌手の Ich will immer,,,dieses Fieber spür’nという曲を参考に見てみましょう。歌詞の出だしは、テーブルは準備がなされ、ワインも用意されているのに君はまだ来ない。君はやることが多すぎる、私の為にも時間を取ってよという歌詞で、サビは以下のようなものです。
Ich will immer wieder dieses Fieber spüren いつも何度でもこの炎を感じていたい Immer wieder mich an dich verlieren いつも何度も君を見失ってばかり Will das Leben leben wie ein Tanz auf dem Vulkan 火山の上で踊るような人生を生きたい Ich will immer wieder neue Sterne sehen いつも何度でも新しい星を見たい Immer wieder mit dir tanzen gehen いつも何度でも君と踊りたい Wenn die Nacht beginnt dann brauch' ich dich 夜が始まった時、君が必要だから Nimm dir Zeit für mich 私のために時間を取って
どうでしょうか?この炎を感じているところや火山の上で踊るような人生を思い描くことが出来ましたか?或いは新しい星を見ているところを思い描けましたか?お分かりいただけると思いますが、物理空間に存在する炎や星を思い描いてはいけません。火山の上で踊っているところを想像してもいけません。この曲のロマンが台無しになります。比喩で例えられている感情、情動を強く思い描けるかどうかです。この曲の歌詞は先ほどのシェリーと比べると、物理空間に存在するモノを思い描いてはいけないという点で、抽象度が高いことがお分かりいただけると思います。
量子的飛躍を起こすことが出来るかの一つの鍵は、つまり臨場感を高める一つの鍵は、この感情や情動を現実的に強く思い描くことができるかどうかにかかっています。心という形のないものが、体という物質に作用することができるのはなぜかという問いの答えの一つとして、心と物質が混在した統一場の存在が考えられます。この統一場では心、物質、時間、空間、エネルギーといった次元の異なるものが混在していると考えられます。
もし私が「夏よりも京都が好き」と言えば、意味を持たない言葉(文法違反)となりますが、これが意味を持つような統一場が存在するということです(当然私たちはそれを言い表す言葉を持ちませんが)。従って、炎という歌詞、火山の上で踊るような人生という歌詞、新しい星という歌詞から言葉で表せないあなたの情動を感じられるようになること、しかもそれがお箸を手にしたときお箸を感じるように現実的に感じるようになることがより高い瞑想テクニックを身につけるということです。
もう少し別の例を出すとすると、芸術家が骨折の痛みを絵にすることがありますが、これも痛みという本来絵に表せないもの(絵で表せると言い張る芸術家は、今度お腹が痛くなったら医者に抽象画を見せて診断を仰いでみてください)を絵で表現しているわけです。
或いは一から個人的観点に基づいて、初恋の味を作れる料理人やお菓子の開発者は(たいていただ単に甘酸っぱいだけで抽象的思考のかけらもありませんが)、抽象的なものをこの「物理的観点によって記述される世界」に落とし込んだといえます。
皆さんも自分にぴったりの曲を探してみてください。飽きずに続けられることが大切なので、他人に相談せず大好きな曲の中から探してくださいね。
注:本文中の歌詞の訳は池上によるもの
参考文献
苫米地英人著『超瞑想法』PHP文庫
ディーパック・チョプラ著『あなたは「意識」で癒される』渡辺愛子・水谷美紀子訳、フォレスト出版
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