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迷ったら中山さんを目指せばいい


僕から伝えたいことは今日はこの3つ(筆者注 1.理想のゴールを持つこと、2.優先順位を決めること、3.一貫性を持つこと)だけだ。

もう一度言うけどこれは北極星みたいなものだから、迷ったら空を見て北を目指せばいいんだ。

引用:旅するカフカ『迷ったら北を目指せばいいんだ』

砂漠を歩く旅人たちは北極星を目印に歩きます。そこで誰かが「北極星を目指して歩いたところで、北極星になんてたどり着く訳ないのに馬鹿じゃないの?」と言ったとしたらあなたはどう思いますか?

言うまでもなく、馬鹿なのはこの人の方です。砂漠のような目印もないところでは、最後にどこにたどり着きたいかを決め、大まかな方向に向かって歩みを止めないことが大切で細部の軌道修正は歩きながらやれば良いのです。

実はこれは目標設定と能力の関係にもそのまま当てはまります。素直に自分に問いかけて最後にどうなっていたいかが分かっていれば、それで良いのです。というか、そうでなければいけません。日本人は特に小さな目標を立てて「小さなことからコツコツと」というのが好きです。それだけではなく、初めから大きな目標を立てる人のことを批判的に見る傾向が強いです。

文化論を語るつもりはなくて、それぞれの国にそれぞれの文化があるのは良いことなのですが、心理学的には問題があるということです。私の言葉で言えば、煩悩は大きければ大きいほど良いということになります。小さな煩悩で生きていると些細なことに囚われて、下せるはずの決断も下せなくなります。煩悩は大きい方が良いのです。所詮マラソンを速く走りたいとか、大きなレースで勝ちたいとかは全て煩悩にすぎません。もし釈迦がまだ生きていれば、勝ちも負けもすべて同じものにすぎないというにきまっています(空観)。これは哲学者の中島義道さんの言葉で言えば、

「どう考えても、人生で重要な問いは自分の意志でもないのに生まれさせられて広大な宇宙の時間と空間の中でほんの一瞬かげろうのような人生を送るこの人生とは何だろうという問いである。オリンピックも出世競争も受験戦争も全てこの問いから目を背けるための壮大な暇つぶしでしかない」

ということになります。私は勝負ごとを否定するつもりはありません。プロのスポーツ選手にとってマラソンは金儲け=ビジネスというこの世における仮の役割(仮観)がありますし、他にも自己実現という壮大な暇つぶしにもなります。ただ、やるなら北極星を目指さないといけません。一度決めたら北極星だけを見ていればいいのです。北極星しか見ていない人間は目の前にサソリが現れても若干の軌道修正の後北極星の方向に進めますし、目の前に絶世の美女が現れても視野に入りません。これがステップバイステップで100m先の目標しかたてていない人はサソリの向こう側に広大な世界があることをイメージできないので目先のリスクとリターンを秤にかけて撤退するでしょうし、絶世の美女の向こう側にもっと魅力的な世界があることがイメージできないので「お茶でも飲んでいきなさい」と言われると寄り道してしまい、下手するとそのままそこに居ついてしまうかもしれません。

この例え話の北極星とは勿論目標に該当します。目標と言うのは所詮煩悩にすぎません。マラソンで世界記録を出すとか、年収が10億円になるということには本質的な意味はありません。本質的なというのは絶対的に生の意味を付与したり、生の意義を高めたりするものではないというくらいの意味です。ですから、釈迦のような悟った人の前に大迫傑さんが現れたところで、きっと釈迦は「あっここにも波状に振動する素粒子がある」くらいにしか思わないと思います。

ただ、どのような目標=煩悩にも機能的な役割があります。本質的には一切は空であるのですが、この世における仮の役割=機能を見出すことを仮観と言います。この時目標は高ければ高いほどその人のこの世での仮の役割=機能=能力を高めてくれることになります。そして、この自分の機能=能力に対する自己評価のことをコーチング(心理学)の世界ではエフィカシーと呼びます。

とまあ、ここまで抽象的な話を続けてきたので単なるきれいごとだと思われる方が多いと思います。実は私は18歳の頃から一つの北極星を目指してきました。北極星を目指してきただけでその人の真似をしようと思ったことは一度もないのですが、結果的に自分でも驚くほどその人との間に共通点が生じました。

その北極星とは中山竹通さんです。18歳の時に中山さんの著書(おそらく口述筆記)の『挑戦』という本を読んでから「アッ中山さんに出来るんだったら、自分にも出来るな」とずっと思ってここまで来ました。そう思った理由は特にないのですが、強いて言えば当時私は18歳の頃の中山さんよりも良い環境に居たので、中山さんがその中で結果を出していったのであれば自分にも出来るなと思いました。

私が中山さんについて語る必要もないと思いますが、念のために書いておくと1984年の福岡国際マラソン優勝を皮切りに1985年ワールドカップマラソンでは自己ベストの2時間8分15秒で優勝、1987年の福岡国際マラソンでは伝説となった中間点を当時の日本最高記録を上回る1時間01分55秒で通過35kmまでは2時間6分ちょうど当たりのペースで来ていました。後半みぞれと風速5m前後の風に大幅に失速しゴールタイムは2時間08分18秒でしたが、世界中で話題になったレースです。オリンピックでもソウル、バルセロナと二大会連続で4位に入賞されています。

インターハイにすら出ていない私が中山さんを目指すといっても誰からも理解されないのは当然のことだと思いますし、今の私が中山さんを超えるといっても同じ反応が返ってくると思います。ただ、18歳の頃に思い描いてきたことは次々と形になってきています。

中山さんがより良い環境を求めて長野県縦断駅伝に狙いを定め、区間記録を更新して区間賞を獲り富士通長野に移籍したのが20歳の時です。私がより良い環境を求めて陸上部を退部し、アラタプロジェクトのセレクションを受け、セレクションに受かった直後にハーフマラソンで1時間03分09秒のタイムを出して経理担当者の信頼を得てケニアの合宿費を出してもらい、今のコーチであるコーチディーター・ホーゲンに出会ったのも二十歳の時です。