こんにちは、池上です!
今回はスポーツ選手がたまに入るとされる無念無想の境地について書いてみたいと思います。私がレース前に無欲になることの重要性に気づいたのは中学校の時でした。私は昔からアガリ症でした。小学生の時は、野球をやっていたのですが、バッターボックスに入るときは緊張でお腹が痛くなり、脚が震えました。バッターボックスに立ちたいのに、逃げ出したい、そんな気持ちでした。そして、試合では思うように力が発揮できませんでした。
そして、自分の力が発揮できるときはどのような時かというと自然体の時でした。私の場合は、気づいたら体が反応していたという時の方が良い結果に繋がりました。27歳になった今でも、いくつかのヒットや守備での好捕を覚えています。ピッチャーが投げる、体が自然に反応してバットが出る、無我夢中で走ってホームに滑り込む、ランニングホームラン、そこで我に返る、そんな思い出が27歳の今でも鮮明に脳裏に浮かべることができます。
ただしこの時の自然体というのは脚が震えるほどの緊張感の向こう側にあるもので、いわゆる余裕をかましている訳ではないのです。脚が震えて、バットを持つ手が震える、でもバッターボックスに入って投手が投球動作に入ると、スッと雑念が消えて体が自然に反応する、こういう状態でした。
中学校に入って駅伝をやるようになってこういう状態が意識的に作れないかなといつも思っていました。色々な試行錯誤をしても、なかなか作れませんでした。リッラクス状態を作ろうと思うと、なかなか燃え上がらないんです。燃え上がらないから試合にも入っていけない。体が自然と反応するような状態にはなりません。そうかと言って、意識的に集中しようと思うとやっぱり入れ込むがために「負けたらどうしよう」という雑念が頭をよぎります。誰しも経験があると思うのですが、重要な試合になればなるほど、逃げ出したくなります。目の前に大きなチャンスがあるし、本当に誰かからこのチャンスを奪われそうになったら、必死に抵抗するでしょう。それがわかっているのに逃げ出したくなります。
そんな私が最高の心理状態を作れたと思うレースが中学校三年生の時の都道府県対抗男子駅伝の時です。この時、私の心にあったのは、2区を走る太田翔にだけは負けてたまるかということだけでした。私が太田を初めてみたのは小学校の丹波地区の800mの大会です。私は京都府亀岡市の出身、太田はその隣の南丹市園部町というところの出身です。確か800mを2分24秒かそこらで走っていたと思います。私は当時2分40秒くらいでしたから、まさに雲泥の差というやつです。
中学校一年生の時の京都府中学駅伝では太田が9分33秒で、私が9分54秒、中学校3年生の時は太田に何度か迫ることは出来ましたが、全く超えられませんでした。何せ向こうは全中で7番に入る実力の持ち主で、私は全国大会はおろか近畿大会にも出られませんでした。地区駅伝、京都府駅伝の1区でも勝負しましたが、完全に力負けでした。
そして、この都道府県対抗男子駅伝では太田は各都道府県のエースが集まる2区、私は6区でした。私の心は燃え上がっていました。ちょっと失礼ですが、6区に来る選手は太田よりも格下の選手達です。こんなところで負けてたまるか、太田に絶対勝つんや、太田よりも目立つんやと寒空の広島の空の下で燃え上がっていました。
でも、私は試合が近づけば近づくほど、気持ちが落ち着いていきました。というよりも落ち着かせました。力みが生まれると上手くいかないことを知っていたからです。特にこのときはまさに「いきり立つ若武者」そのもので、前日刺激の1000mも2分50秒で行ってしまっていました。私もはじめの1キロで2分55秒を切ったら上手くいかへんぞと思っていました。それに2kmまでは力を抜いていかないと、スパートもかかりません。イメージとしてはラスト600mから切り替えて、ラスト400mでもう一段階のペースアップというイメージでした。そこまで抑えていかないと、スパートが切れません。
レース前の数時間で「人生意気に感ず、功名またたれか論ぜん」と何度つぶやいたかしれません。人生意気に感じて思い切ってやったのなら、誰がその結果をとやかくいうだろうかという意味の言葉です。私は結果から離れることで、集中状態を作りました。結果は区間賞での自己ベスト(8分51秒)でした。人生で初めて太田よりも目立った瞬間でした。ちなみにこのレースの後、私は灰になりました。持てるものを全て出し切って、帰りの荷造りですら、何をどうやれば良いかわからない状態でした。そのくらい集中し切りました。
今から思ってもあの時は欲から入って欲から離れることができました。最高に近い心理状態だったと思います。
ちなみにこの駅伝で京都府代表で一区を走ったのが今大阪ガスにいらっしゃる今崎俊樹さんです。今崎さんと私は洛南高校の先輩後輩ですが、入れ違いなのであまりお話を伺うことは出来ませんでしたが、今崎さんの一つ下の天野健太さんからこんな話を聞きました。今崎さんは国体少年Bのチャンピオンなのですが、やはりその今崎さんが国体の時は無になれたとのことでした。そして、今崎さんもやっぱりレースの後は灰になる、もう動けないとのことでした。やっぱりそういうもんかと納得しました。
強い選手はだいたいみんな我が強くて、個性派キャラなのですが、今崎さんはその中でも超個性派キャラでした。高校時代はさすがに、顧問の中島道雄先生という閻魔大王様みたいな存在がいたので、まだ控えめでしたが、立命館大学に行って閻魔大王様の手から離れると、もう手がつけられなくなりました。一時期は立命館の長距離のコーチとウマが合わず400mのレースとかマイルリレーのレースによく出場されていました。
大学生ながら日本選手権で3位に入るほどの実力だったので、関西インカレでは無敵の4連覇、無双の強さってこういう人のこというんだなと思いました。もちろん、今崎さんのことが嫌いな人もたくさんいたのですが、それをどこ吹く風と必殺スパートでなぎ倒していきました。今崎さんの1個下で私の2つ上の丸尾知司さん(現愛知製鋼、世界選手権50km競歩5位)は同じ国体チャンピオンなのですが、正反対の性格で丸尾さんの悪口をいう人を聞いたことがありません。みんなから慕われ、応援される方です。
これは私の想像ですが、今崎さんのあの絶対的な集中力は、あの強い性格とそれを通り越したところにある無心だったのではないでしょうか?今崎さんはビッグマウスでも有名でした。実力もすごいのですが、口の方はもっと大きかったです。なにせ1500mで日本人が3分30秒を出すことは非現実的なことではないと言い切るくらいです。でも、本人はそうやって自分を奮い立たせていたのではないでしょうか?私もそうなのですが、言い訳をしない、退路を断つことほど自分を奮い立たせるものはありません。どんな状況に置かれても言い訳をしないというのは大切なことだと思います。
でも問題はそこからです。そこまでプレッシャーをかければかけるほど、「負けたらどうしよう」という気持ちが頭を過ります。今崎さんですら、それは例外ではないでしょう。いや、むしろ今崎さんだからこそ、そうでしょう。私のような小物が負けても「池上にしてはよく頑張った」と言われますが、今崎さんのような大物が負けたら「そら見たことか」と言われます。こういう雑念が頭を過ると自分の力が出せません。これを克服しようと「絶対勝つんだ」と思えば思うほど、「勝ち」の対義語である「負け」が頭を過ります。おそらく今崎さんは「絶対勝つんだ」という相対的な自信ではなく、「俺は俺のレースをすれば良い」という絶対的な自信を持ってレースに臨んでいたのではないでしょうか。
今崎さんは大阪ガスの面接でも、普通なら即落ちレベルの受け答えをされたと人づてに聞きました。大学の卒業単位がギリギリ足りなかった時に教授からお情けの単位をもらった時には「落ちて社会の厳しさを知れば良かったのに」と言う人もいたくらい敵の多い人でした。ですが、私の中では間違いなくヒーローです。並み居る敵たちをあの必殺スパートでなぎ倒して行く姿はカッコイイ以外に表現のしようがありません。
私の年下ですが、同じ空気を感じるのが現在SGホールディングスの坂口竜平です。彼も何度かしか話したことはありませんが、今崎さんと同じ空気を感じるやつです。もしも試合で見る機会があれば、応援するか罵倒するかのどちらかをしてあげてください。彼なら罵声も力に変えて走るでしょう。
そんな憧れの今崎さんから私は今まで二回だけありがたいお言葉をいただいたことがあります。一回目は高校1年生の時で「人と同じことをしてたら、人と同じで終わる。人と同じことをするのは当たり前、その上で人と違うことをしな強くはなれへんで。それが何なのかは分からんけど、人と違うことを自分で考えろ」と言って頂きました。
2回目は、大学に入ってすぐの関西インカレのハーフマラソンです。私が大失速しながらも競技場に入ると今崎さんがヤンキー座りでレースをご覧になられていたので、今崎さんの前では恥ずかしくない走りをしようと必死でスパートしました。ゴールして大学の谷口博先生のところに挨拶に行くと、その後すぐに今崎さんのところに挨拶に行きました。「一年生にしてはやるやん(恥ずかしながら66分27秒もかかっての優勝でした)」とヤンキー座りしたままでありがたいお言葉をいただきました。
絶対的な自信の話に戻ると、私が高校時代、恩師の中島道雄先生からはレースの結果に対してあまりとやかく言われたことはありません。褒められたことも、けなされたことも数えるほどしかありません。レースが終わってすぐに挨拶に行ったら「3年生がチームを作って行くんだぞ」と一言言われて終わりみたいなこともありました。そんな私が怒られたのは京都ユース(学年別の京都大会)で優勝した時のことです。洛南高校でチームメイトになった先述の太田翔がレースを作り、私はついていってラスト300mでスパートをかけて優勝しました。その時の中島先生のコメントは「あんなレース全然ダメや。もっと太田と競り合ってペース上げて行かなあかん」でした。思うに中島先生もそういう相手に勝つことだけを考えてるような、相対的な自信が嫌いだったのではないでしょうか?俺は俺のレースをすれば良いという絶対的な自信が感じられなかったのでしょう。これを中島先生の言葉で言うと「姑息な考え」「井の中の蛙」「小さな考え」と言うことになると思います。
最後に、無念無想の話に戻ってもう一例挙げましょう。無念無想の境地とは、ただ単に家族団欒の時のリラックス状態ではないのです。人生が順風満帆の時の自信なんてたった一回の失敗で崩れるほど脆いものです。それと同じで家族団欒の時に「いくら俺は平常心で自然体だ」と威張ったところで、刃物を持った男が家に入ってきたらもろくも崩れ去ります。それでは役に立ちません。
では、無念無想とはどう言うものか?私がランラボチャンネル支配人のティラノ(彼は洛南高校の1個下の後輩)と高校時代に二人で山の中を走っていた時のことです。熊に遭遇しました。その時、私はどうしたか?何もしません。そのまま走っていきました。「怖い」とか「どうしよう」とかは思いませんでした。ただただ走っていきました。あとからティラノが「池上さん、今のクマでしたよね?」って言うから「うん、熊やったな」とだけ言いました。「もし、襲われたらどうするんですか?」と言うから「死ぬときは一緒やから大丈夫や」とだけ答えました。
動物というのは人間の恐れる気持ちに敏感に反応します。何故か?動物は皆危機を感じると、闘争か逃走かの二択を選びます。窮鼠猫を嚙むという言葉の通り、いくら猫の方が強いといっても、ネズミが本気を出せば、猫もそれなりに危ないのです。だから、こっちが恐れを感じていれば、向こうも戦いを挑んできます。相手の方が弱ければ闘争か逃走のうちの逃走を選ぶこともあり得ますが、相手の方が体が大きく、熊のような肉食獣は闘争を選びます。
ですから、恐れる気持ちがあるとかえってクマを刺激します。とはいえ、そこまで理性的に考えたとしても理性で心を統御するのは無理です。ダメだとわかっていても、もう一本ビールの缶を開けてしまうのが人間です。理性で心を統御するのが無理ならば、無念無想の境地に入るしかないでしょう。ただただ走っていくだけです。この時に無理して「なんだクマごとき。食えるもんなら食ってみろ」と思ったら食われたかもしれませんが、私はそのときただただ存在していただけです。
ちなみにですが、私は「食べられない」という計算があった訳ではありません。食べられたら、食べられたで一巻の終わりです。実際に、この時のクマが子熊を連れていたら、襲われたかもしれません。その時はティラノには申し訳ないが、一緒に死んでもらうしかない。生きてればいずれは死にますから、その時がちょっと早くきただけです。
ちなみに私はその後の人生でももう一度熊に遭遇しました。2回目は一人で自転車に乗っている時です。自転車に乗っていると、熊と正面から鉢合わせしました。その時私はどうしたかというとやっぱりどうもしません。熊の横を自転車で通り過ぎていきました。一本道ですから、逃げようたって無理です。5000m勝負してくれるなら勝つでしょうけど、熊にはそんなルールは通用しませんから、初めの100mで捕まって一巻の終わりです。だったら、何もなかったかのごとく、そのままちょいとごめんよと通り過ぎるしかありません。
こういうのを昔の人は「切り結ぶ太刀の下こそ地獄なれ。身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」という歌にしました。
スポーツの世界でこういう境地に入れる人が「ボールが止まって見える」とか「ショットを打つ前に、自分のショットが見えた」とか「次の球がどこにくるかわかった」という世界を経験できるのではないでしょうか?私は残念ながら、人生でもまだ数回しかこういう精神状態が作れていません。確かにその時には、迷いも恐れもなく、何故だか知らないけど、「今日は俺の日だ」というのが走る前から分かりました。もちろん、スポーツの世界は日々の練習と生活が一番重要なのですが、それにプラスアルファの力を加えるとすれば、この無念無想の境地でしょう。
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